玄蕃尾城…城友会2016①
前記事の刀根坂(久々坂)峠から北の斜面を上がり、5分ほど九十九折れの山道を登ると開けた尾根に出ます。

霧で視界が悪い中、漂う獣臭に警戒しながら慎重に進みます・・・近江北部は特に多いらしいですからね…熊。
尾根上を更に北へ、しばらく進むと・・・

おぉ…いきなり凄い遺構が姿を現しました。
■玄蕃尾(内中尾山)城図

玄蕃尾城は天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉と対峙した柴田勝家の本陣として築かれた、いわば陣城です。現在の滋賀県と福井県の県境に位置します。
上図の下方、南側の大手から探索開始。

虎口郭Aへの大手虎口
左へ折れる枡形になっています。

虎口郭B
写真左に虎口、その右手には武者溜りのような空間がありました。

土塁やら切岸が複雑に入り組んだこの立体感…堪らない(笑)

虎口郭Bから主郭方向
右の高まっている部分は、主郭南虎口を守る馬出です。

主郭南虎口の土橋

その土橋から続く馬出

土橋西側の横堀に・・・

東側の横堀・・・深い。

主郭側から見た土橋、馬出、そして右奥に虎口郭B。
土橋両脇の横堀も含め、その防御思考が明瞭に伝わる遺構です。

主郭

主郭東虎口を、その外側から見た様子。
こちらも土橋や横堀が綺麗に残っています。

主郭東土橋脇の横堀。
・・・あ、この紺色の人、いつも一人でサクサク先に進んで行くので、城友会の記事にはちょいちょい写り込みます(笑)

張出郭

主郭櫓台

主郭北側の馬出

虎口郭C
かなり広い空間でした。

虎口郭Cと、先ほどの馬出との間の横堀。

搦手虎口と土橋。
城域の最北端に位置しており、北ノ庄へ敗走する柴田勝家は、或いはここから玄蕃尾城を出たか?などと話しながら見学しました。

搦手虎口の先には、今も道が続いていました。

虎口郭Cの横堀

この横堀がまた素敵でした♪

外側の掻き上げ土塁から。

虎口郭Cの南西、見張台の切岸…凄い高低差。
玄蕃尾城…その遺構のどれをとっても、とても一時的な陣城の規模ではないです。きっと勝家は、秀吉との対陣がもっと長期化すると見込んでいたのでしょうね。
整備の具合も程良くて見やすく、素晴らしい城跡でした。
この後は敦賀市内へ入ります。

霧で視界が悪い中、漂う獣臭に警戒しながら慎重に進みます・・・近江北部は特に多いらしいですからね…熊。
尾根上を更に北へ、しばらく進むと・・・

おぉ…いきなり凄い遺構が姿を現しました。
■玄蕃尾(内中尾山)城図

玄蕃尾城は天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉と対峙した柴田勝家の本陣として築かれた、いわば陣城です。現在の滋賀県と福井県の県境に位置します。
上図の下方、南側の大手から探索開始。

虎口郭Aへの大手虎口
左へ折れる枡形になっています。

虎口郭B
写真左に虎口、その右手には武者溜りのような空間がありました。

土塁やら切岸が複雑に入り組んだこの立体感…堪らない(笑)

虎口郭Bから主郭方向
右の高まっている部分は、主郭南虎口を守る馬出です。

主郭南虎口の土橋

その土橋から続く馬出

土橋西側の横堀に・・・

東側の横堀・・・深い。

主郭側から見た土橋、馬出、そして右奥に虎口郭B。
土橋両脇の横堀も含め、その防御思考が明瞭に伝わる遺構です。

主郭

主郭東虎口を、その外側から見た様子。
こちらも土橋や横堀が綺麗に残っています。

主郭東土橋脇の横堀。
・・・あ、この紺色の人、いつも一人でサクサク先に進んで行くので、城友会の記事にはちょいちょい写り込みます(笑)

張出郭

主郭櫓台

主郭北側の馬出

虎口郭C
かなり広い空間でした。

虎口郭Cと、先ほどの馬出との間の横堀。

搦手虎口と土橋。
城域の最北端に位置しており、北ノ庄へ敗走する柴田勝家は、或いはここから玄蕃尾城を出たか?などと話しながら見学しました。

搦手虎口の先には、今も道が続いていました。

虎口郭Cの横堀

この横堀がまた素敵でした♪

外側の掻き上げ土塁から。

虎口郭Cの南西、見張台の切岸…凄い高低差。
玄蕃尾城…その遺構のどれをとっても、とても一時的な陣城の規模ではないです。きっと勝家は、秀吉との対陣がもっと長期化すると見込んでいたのでしょうね。
整備の具合も程良くて見やすく、素晴らしい城跡でした。
この後は敦賀市内へ入ります。
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