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2016年11月 7日 (月)

滝山城下町と「かまくら道」 (& 三ノ丸横堀)

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今回は滝山城の城下町を歩きます。
滝山城が築かれていた加住北丘陵と、それと並行して走る南丘陵の間には谷地川(写真)が流れており、城下町はこの谷地川に沿うような形で築かれていたと考えられます。

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谷地川河畔から北、滝山城方向を見る。

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反対の南側。
まるでこれら南北2つの丘陵に、包み込まれるかのような場所です。

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谷地川にはいくつか橋も架けられており、それらの中には城下町の名残を伝えてくれるものもあります。
こちらは八幡宿橋。

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八幡宿橋から少し東へ進むと・・・

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横山
昭和30年頃に加住地区(村)が八王子市に編入されるまで、この辺りは横山と呼ばれていました。また、先ほどの八幡宿橋と新横山橋の中間には、やはり八日市と呼ばれる地区もありました。
(横山・八日市ともに、加住村の八王子市編入後は滝山町に統一)

北条氏照が滝山城から居城を移した八王子城下にも八幡宿の名が見えますし、西から順に八幡宿→八日市→横山というこの並びは、現在のJR八王子駅北西の甲州街道沿い(江戸時代に甲州道中八王子宿が置かれていた場所)の八幡町→八日町→横山町とそっくり同じです。
現在の八王子の中心街は、天正18年(1590)の北条氏滅亡後に八王子城下から移されたもの(だから八王子城周辺を「元八王子」と呼ぶ)。
滝山城下から八王子城下、そして八王子宿へ・・・こうした地名の由来に、八王子の中心地の変遷が垣間見えるようです。

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八幡宿橋と新横山橋の間に架かる梅坪橋。

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梅坪橋から南へ伸びるこの道は、鎌倉や北条氏の本拠・小田原方面へと抜ける中世のかまくら道(鎌倉古道)と推定されます。
今度はこのかまくら道を辿って南へ歩いてみます。

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途中で横切る都道169号(新滝山街道)を越えて細い小路に入ると、古い庚申塔に道標がありました。
道標の文字は「向右 西中野・・・」までは辛うじて判読できたものの、あとは風化で読み取れませんでした。
確かに加住南丘陵を越えた先には、今でも「中野」という地名が存在します。

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加住南丘陵をなだらかに登っていくかまくら道。

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一旦下った先で・・・

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舗装路は途絶え、雑木林の中へ入っていきます。

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雑木林の先は都の管理地らしく、立入禁止の看板とフェンスが張り巡らされていましたが、そのフェンスを迂回するように右へ続く山道を進むと・・・

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峠や山中に於ける古道特有の、見事な堀割道が現れました。
右へカーブし・・・

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少し進んで・・・

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今度は左へカーブ・・・事前に想定していたものよりもハッキリとした形状でした。

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かまくら道はこの先、車道による開削で消滅していますが、本来はひよどり山~御殿峠へと続いていたものと思われます。
滝山城主時代には氏照も幾度となく、小田原への往還にこの道を利用していたのではないでしょうか。
(御殿峠についてはコチラの記事参照)


■滝山城三ノ丸外周の横堀

さて、滝山城の三ノ丸外周の横堀が最近、藪も払われて見易くなったとの情報を得たので、この機会にちょっと様子を見ていくことにしました。
かまくら道を北へ引き返し、少林寺山門前から加住北丘陵に上がって尾根を西へ進み城域内へ。
二ノ丸~三ノ丸間から堀底に下りてみると・・・

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ご覧のような見事な横堀がドーンと!

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元々立派な横堀があることは判ってはいましたが、藪で見えづらく、正直ここまで見事な形状を残しているとは思いませんでした。

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所々、畝のような盛り上がりも・・・3本くらいありました。

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三ノ丸の周囲をグルーッと廻って・・・

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最後は小宮曲輪の対面に繋がります。

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素晴らしい遺構に出会えて興奮しているところへ、こちらの立て看板が目に入ってビックリ・・・。
私は二ノ丸側から堀底に下りたので気づきませんでしたが、今まではこんな看板などありませんでした。

藪を刈って人が入り易くなったために掲げたのか、それとも今後調査でもする予定があるのか・・・?
「園路ではないから」とありますが、城址公園の敷地であることに変わりはないはず…仮に私有地だというのならば、それとわかるようにするべきだし。
「園路」しか通れないのであれば、この城郭遺構の傑作も魅力は半減。。。無論、無闇やたらに土塁や切岸に踏み入られるのは困るけど、それは城域全体にも言えること。
そこは節度ある見学マナーを喚起しつつ、折角整備していただいているのだから、公平にオープンにした方がいいのではないかと、個人的には思います。

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