12月17~18日は静岡への旅。
17日はさらさんの企画で、静岡の歴史や古城を研究されている方のご案内の元、花蔵の乱に於いて栴岳承芳(後の今川義元)方が、敵方(玄広惠探)の本拠・花倉城に対して築いた陣場(支塁)をめぐります。

藤枝市岡部町の某所で集合~少し移動し、本日登らせていただく山の地権者のお宅へご挨拶。
年季の入ったとっても素敵なお宅で、最近襖から、豊臣秀頼や武田信玄の名前までもが散見される古文書が発見されたのだとか・・・!!(゜ロ゜ノ)ノ
実際に拝見させていただきましたが、本当にこういうことってあるんですねぇ・・・。
秀頼はともかく、信玄は史実的にもこの地方に関わりを持っていますからね・・・どのような内容なのか、今後の解明が待たれます。

さて、地主の方に山の中腹まで運んでいただき、本日のスタート地点へ。
蜜柑畑の合間を抜けるこの農道は、府中街道の古道と考えられるそうです。
位置や抜ける方角を考えると、或いは古代~中世の東海道にも一部リンクしていた可能性も浮かび、興味を惹かれます。

神入寺跡(下コース図1/以下数字のみ記載)
並べられた古い五輪塔や宝篋印塔は、地主の方が山の斜面に転がっていたものを拾い集めてきたものだそうです。中には南北朝期のものも・・・?!
この神入寺跡から山に取りつきます。
コース図

この日の踏査コース。
東寄りの神入寺跡から尾根に取りつき、西へ向かって稜線上を進みます。
全体図

花蔵の乱は天文5年、駿河今川氏の当主・氏輝と次弟の彦五郎が相次いで亡くなると、その跡目を巡って栴岳承芳と玄広惠探の間で起きた家督争い。
駿河府中方面での戦いを経て、本拠である花倉城や方ノ上城に拠る惠探側に対し、承芳側は朝比奈城や朝日山城などの勢力を中心に、両城間の山岳地帯にも味方の連絡確保のため、そして敵方の花倉城⇔方ノ上城間の連携を断つように、幾つもの陣場を設けています。
今回はこれら承芳側の陣場跡を、時間と体力の許す限り丹念に観てまわります。

神入寺跡から、かなりの急勾配をひたすらに登ります・・・。
道もかなり荒れて厳しい行程ですが、20分ほどで尾根に到達しました。

尾根に出る直前、この道を登ってくると・・・

左手に見張り場のような削平地があり・・・

道はその先で、桝形のように折られて尾根に出ました。
この先が、桂島陣場(2)と呼ばれる遺構のある場所となります。

尾根に出た後、少しなだらかな坂を登ると、結構な広さを持つ平場がありました。

平場の先には・・・西側からの進入を遮断するように、土塁が設けられていました。
土塁の先は堀になっています。

反対側から。
横堀に土橋、平虎口、そして土塁。
この構成からして、明らかに花倉城のある西側を警戒しています。

横堀・土塁越しに広い削平地を見る。

虎口を抜けた先は再び登り勾配。
このように尾根のピークより一段下がった、しかも他の諸陣場跡よりも東寄りの立地、土塁などに守られた広い削平空間・・・これらの条件からこの桂島陣場は、この後に見てまわる陣場・支塁へ必要に応じて兵を送り込むための、承芳側の後方陣地、兵の集屯地ではないかと考えられています。
或いは指揮所とも・・・とすると、あの雪斎がここにいた可能性も出てくるのでしょうか。
※ちなみに、この付近には興津姓の家が多いそうです。興津といえば、雪斎の母方の姓。花蔵の乱を制した功で、その一族が入封したか?

桂島陣場跡から西へ、先ほどの尾根を登っていくと、南の駿河湾方面に視界の開けた場所がありました。
正面の独立峰が潮山で、その脇に承芳側(岡部氏)の朝日山城。
一番左奥の尾根先端付近には、惠探に与する方ノ上城。惠探の花倉城は、写真右手方向へ向かった先にあります。
そして手前から平野部に向かって伸びる数本の稜線上にも、承芳側は支塁を築いていました。
花蔵の乱は、承芳側が方ノ上城を落とすことで形勢が傾きます。
その攻略には、眼下に見える朝日山城の岡部氏が当たりましたが、承芳側の築いた山岳地帯の諸陣場・支塁もまた、府中街道を含む山中の通路を遮断し、方ノ上城や花倉城に対する圧力を強める一翼を担ったことでしょう。

再び尾根を西へ進むと、今度は地形がポコッと稜線から飛び出した箇所がありました。
その先端部は削平されており、鬱蒼と繁る木々がなければ左右両方向に尾根を見晴らすことのできそうなポイントです。

こうした尾根道も気になりますよねぇ・・・一見すると、右側が土塁みたいだし。

3の陣場
見張り台程度の広さに削平され、皆が覗き込んでいる足元には・・・

もう一段、テラス状の曲輪がありました。
引き続き西へ進むと・・・

途中、古道が合流してくるポイントがあり、尾根への取り付き部分は枡形のように屈折させてありました。
こうした古道の存在が、この尾根上に陣場を築いた理由の一つだったであろうことは間違いないかと思います。

天王山と呼ばれる山の山頂付近に達しました。
ここで尾根道は、谷合を包み込むように「コ」の字にカーブしていきます。その先端が・・・

遠見番所(4)と呼ばれる陣場になります。
分かりづらいですが、土塁が曲輪を取り巻いていました。

曲輪の先端部分は虎口になっており、その手前に写真左から蔀状の土塁が伸びているのですが・・・写真だと“なんのこっちゃ”ですね…(;^ω^)

天王山山頂
ここで昼休憩にしました。

昼食はchizxxさんがご手配くださった東海道名物の一つ、「瀬戸の染飯」。

「東海道中膝栗毛」や「信長公記」にも出てくる歴史ある名物を、史跡めぐりの山中で戴く・・・これがまた格別でした♪

午後は一旦、葉梨神社(5)まで下山しました。
ここから東へ進路を変え、入野支塁・村良支塁を目指します。

葉梨神社から望む花倉城跡(写真奥から2つ目の稜線のピーク付近)
栴岳承芳 vs 玄広恵探の両勢力が、山中で対峙していた距離感です。

目指す入野支塁(7)は、あちらの稜線上にあります。

途中、白藤の滝(6)を見るために少し寄り道。
こちらは観音滝で・・・

白藤の滝
・・・陽射しが強く、コントラストがきつくて白飛びしちゃった…(;´∀`)
「駿河記」という文献に;
白藤ノ滝の上にコッチ番・向番と云うあり。今川氏の時、両所に番所を置きて西南の方を遠見せし地と云う
という記述があり、それが午前中に見てまわった陣場跡の発見に繋がったのだそうです。
西南の方が花倉城を指していることは言うに及ばず、向番は西南の方角に視界の効く遠見番所(4)でいいと思います。
コッチ番は・・・見解が分かれるとは思いますが、やはり西南の方角を意識した時、立地からして私は3の陣場ではないかと考えています。
※桂島陣場(2)では距離が離れている上に遠見番所と標高差もあり、花倉城への視界も開けていないように思えます。

入野支塁の尾根上から、村良支塁(8)の稜線を見る。

入野支塁の・・・堀切と土橋(・ω・)
分かりませんよね、はい。

こっちから見たら、少しは堀切っぽく・・・見えないか。
でもご心配なく。

奥(南)へ進めば、ハッキリとした堀切が現れますから。

この堀切、どうやら府中街道の古道を遮断しているようです。
つまり、入野支塁自体が府中街道を押さえるための占地か。

入野支塁が築かれた稜線。
その延長線上、写真左端に写っているのが朝日山城がある潮山。

続けて村良支塁へ移動。
その途中、農道のコンクリートにはっきりと残された狸?らしき動物の足跡を発見。
舗装して乾く前に歩いちゃったんだね(笑)・・・何年前なんだろ?

この日のスタート、神入寺跡から一気に登り詰めた山が見えていました。
あの急な斜面を登っていったのか・・・スタート前に分かっていたら挫折していたかも(笑)

途中までは車道伝いに歩き、脇の山道へ逸れてしばらくすると、細尾根の両岸を削り落とした土橋が出てきました。
本日のラスト、村良支塁への入口です。

先ほどの土橋を渡って少し歩いた先にも・・・おおっ?!

これはまた、見事な土橋ではないですか・・・

土橋の両サイドには、竪堀が綺麗に落とされていました。
その東側に・・・

西側。

エッジも効いて美しい・・・。
この土橋から更に南へ向かって進むと、やはり古道らしき痕跡が尾根に付けられている箇所がありました。もはや言うまでもありません。

村良支塁から、樹間に僅かに覗く花倉城を見…たつもりが、少し角度がズレていましたね…(;・∀・)
花倉城は木の葉に隠れた右側になります。ま、距離感はお分かりいただけるかと・・・。
さて、花蔵の乱陣場めぐりは、これにて無事終了です。よく歩きました・・・(´-∀-`;)
今回ご案内いただいた陣場・支塁。
いずれも一つ一つは規模が小さく、とても単体での戦闘・防衛のための施設とは思えませんでした。そのことごとくが古道と接しているらしきことからも、あくまで見張り・連絡線の確保に主眼を置いた施設だったのではないでしょうか。
花蔵の乱は結果的に栴岳承芳が勝利を収めますが、実際に山中の遺構を見てまわった印象としては、玄広恵探を追い詰めているというよりも、むしろ恵探方の出方を窺う細心の注意と慎重さ、警戒感・緊張感のようなものが伝わってくる気がしました。

スタート地点に戻ると、一日ご一緒いただいた地主の方が、ご自分の畑で蜜柑狩りをさせてくださいました。

山歩きの後に頬張る、もぎたて蜜柑の美味しいこと♪

特別便?で麓まで下山中~(笑)
ご案内くださった方は勿論、地権者の方にも大変お世話になりました。ありがとうございました。

最後は藤枝駅前で打ち上げの乾杯☆
専門家のご案内で、とてもディープな場所まで踏み込んで踏査することができました。
お誘いいただいた幹事のさらさんにも感謝ですね。
この日は静岡駅前に泊り、翌日は丸子城などをめぐります。
■関連記事
花倉城についてはコチラを、
花倉城を逃れた後の、恵探の足取りについてはコチラをご参照ください。