勝沼・柏尾古戦場
先日、武田勝頼の遺蹟をめぐって大善寺にも立ち寄ったのですが、大善寺のある勝沼は慶応4年(1868)3月、近藤勇ら新選組を中心に編成された甲陽鎮撫隊が、板垣退助らが率いる新政府軍と衝突した勝沼・柏尾戦争(以下「柏尾戦争」で統一)の舞台としても知られます。
柏尾戦争といえば、近藤勇を描いたこちらの錦絵が有名ですが、奥に描かれているのが大善寺の山門です。
大善寺山門
柏尾戦争の様子を伝える諸資料
(内外新報/甲府大功記/柏尾戦争図)
現在の柏尾橋の脇、「深沢入口」交差点に建つ近藤勇像
・・・おそらく、先ほどの錦絵を元に製作されたのではないかと…(;・∀・)
永倉新八ら、鎮撫隊の別働部隊が展開した南の方角。
「深沢入口」交差点にはかつて、大善寺境内の東の境界を示す東神願鳥居が建っていました。
柏尾戦争といえば、近藤勇を描いたこちらの錦絵が有名ですが、奥に描かれているのが大善寺の山門です。
大善寺山門
柏尾戦争の様子を伝える諸資料
(内外新報/甲府大功記/柏尾戦争図)
現在の柏尾橋の脇、「深沢入口」交差点に建つ近藤勇像
・・・おそらく、先ほどの錦絵を元に製作されたのではないかと…(;・∀・)
永倉新八ら、鎮撫隊の別働部隊が展開した南の方角。
「深沢入口」交差点にはかつて、大善寺境内の東の境界を示す東神願鳥居が建っていました。
勝沼宿まで進んでいた近藤は、宿場から甲州道中沿いにいくつかの関門を築かせつつ、この東神願鳥居前に本陣を構え、大砲2門を据えて新政府軍と対峙したと伝わります。
斜面の上、鉄製のフェンス内側に見える窪みが旧甲州道中の痕跡で、この斜面は後に明治天皇行幸の際に開削されています。
在りし日の東神願鳥居を伝える説明板
「深沢入口」交差点で右に折れ、深沢川に沿ってなだらかに下っていく柏尾坂。
斜面の上、鉄製のフェンス内側に見える窪みが旧甲州道中の痕跡で、この斜面は後に明治天皇行幸の際に開削されています。
在りし日の東神願鳥居を伝える説明板
「深沢入口」交差点で右に折れ、深沢川に沿ってなだらかに下っていく柏尾坂。
無論、先ほどの痕跡から続いていた旧甲州道中にあたります。
柏尾坂を下っていくと・・・
明治期の柏尾橋跡があり、右隣りには大正期の柏尾橋の跡も見えています。
こちらが大正柏尾橋跡
ちょっと樹木が邪魔で見えづらいですが・・・大正柏尾橋を斜め横から。
「深沢」というだけあって、かなり切り立った地形であることは見て取れるかと思います。
柏尾坂を更に下っていくと・・・
突当りに江戸期の柏尾橋跡がありました。
つまりこの橋を渡るルートが、柏尾戦争時に於ける甲州道中ということになります。
甲州街道分間延絵図に描かれる柏尾橋周辺
先にご紹介した内外新報の戦争絵図同様、東から西へ進んできた旧甲州道中が東神願鳥居のところで右に折れ、坂を下って橋に至る・・・現在に垣間見える痕跡を、そっくり描き出してくれています。
現柏尾橋を勝沼側へ渡ってすぐ、北から国道20号に合流してくる細道。
これも江戸柏尾橋を渡り、深沢川を越えた旧甲州道中の続きということになりそうですね。
柏尾の古戦場を、深沢川の東岸から俯瞰・・・
橋の位置が当時とは違い、写真右下方向になりますので、近藤が本陣を置いた東神願鳥居前(写真左端)は、西から甲州道中を進んでくる新政府軍が橋を渡ろうとすると、川の対岸から横矢を掛けられる位置になります。
ほんのついでのように立ち寄った形ではありましたが、新たな気付きもあり、とても楽しい散策になりました。
いずれ近いうちに、もっと詳しく訪ね歩きたいと思います。
柏尾坂を下っていくと・・・
明治期の柏尾橋跡があり、右隣りには大正期の柏尾橋の跡も見えています。
こちらが大正柏尾橋跡
ちょっと樹木が邪魔で見えづらいですが・・・大正柏尾橋を斜め横から。
「深沢」というだけあって、かなり切り立った地形であることは見て取れるかと思います。
柏尾坂を更に下っていくと・・・
突当りに江戸期の柏尾橋跡がありました。
つまりこの橋を渡るルートが、柏尾戦争時に於ける甲州道中ということになります。
甲州街道分間延絵図に描かれる柏尾橋周辺
先にご紹介した内外新報の戦争絵図同様、東から西へ進んできた旧甲州道中が東神願鳥居のところで右に折れ、坂を下って橋に至る・・・現在に垣間見える痕跡を、そっくり描き出してくれています。
現柏尾橋を勝沼側へ渡ってすぐ、北から国道20号に合流してくる細道。
これも江戸柏尾橋を渡り、深沢川を越えた旧甲州道中の続きということになりそうですね。
柏尾の古戦場を、深沢川の東岸から俯瞰・・・
橋の位置が当時とは違い、写真右下方向になりますので、近藤が本陣を置いた東神願鳥居前(写真左端)は、西から甲州道中を進んでくる新政府軍が橋を渡ろうとすると、川の対岸から横矢を掛けられる位置になります。
ほんのついでのように立ち寄った形ではありましたが、新たな気付きもあり、とても楽しい散策になりました。
いずれ近いうちに、もっと詳しく訪ね歩きたいと思います。
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