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2017年5月27日 (土)

愛犬ボンの旅立ち。

2017年5月24日(水)の午後6時30分頃、我が家の愛犬ボンが永眠いたしました。
満14歳と4ヶ月、食欲と家族への愛情に満ちた人生を全うしてくれました。

実は、3月下旬頃だったか4月に入ってからだったか・・・体調を崩していました。
かかりつけの病院でいろいろと調べて貰いましたが、どうやら貧血だったようです。それも再生不能性の疑いのある・・・しばらく造血剤を飲ませても、一向に改善は見られませんでした。

それからというもの、暑くもないのに呼吸が乱れることが多くなり、あれだけ毎日飽きることもなく、同じご飯を歓喜の雄叫びと共にガツガツと食べていた彼が食べたがらなくなり、栄養をつけないといけないからと、根気よく手で食べさせていました。
(それでも、大好物のチキンとかは喜んで食べていました)

亡くなる3日ほど前くらいからは息切れが特に苦しそうで、今までは(固いままだと喉に詰まらせるので)ご飯に水をたっぷり含ませて柔らかくしてから食べさせていたので水を殆ど飲まなかった彼が、頻繁に飲みに行くようになっていました。
時折、あまりの息切れに辛そうな表情も見せていました。それでもチキンとかは欲しがるから、貰うまではなかなかおとなしく寝ない→息切れで余計に苦しそうにする、のジレンマが続いていました。
毎晩、母や弟たちが風呂からあがってくるタイミングを待って、私がおやつのチキンをあげるのが日課になっていましたが、亡くなる前夜も呼吸が乱れて苦しいくせに、早く欲しいものだから落ち着かず、風呂場の様子を見に行ったりしながらソワソワ・・・。
その様子を見るに耐えられず、少しでも早く落ち着いて寝て欲しかったこともあって、いつもより早くあげたんだけど・・・本来であればお互いにとって楽しいはずの時間も、ただただ不安を募らせていた私はその日課をさっさと済ませ、早く寝て呼吸を落ち着かせてもらうことにしか意識が向かず、半ば投げやりな感じになってしまっていました・・・これが最後になっちゃったのに。
このことは今でも悔いている。

今から思えばフラつくこともあったし、体はもう限界に近かったのだと思います。でも、彼の目には未だ悲観も諦観の色もなく、その光には確実に生命力が宿っていたので、今日明日の切迫した状況だとの認識は抱いていなかった・・・。

そして当日。
前夜も遅くまで息が乱れていたそうで、この日は朝からグッタリとしていました・・・動くのも億劫な様子で。
なんとなく胸騒ぎを覚えていたのだと思います・・・仕事を遅出の予定にしていたこともあり、母が弟を職場へ送りに行った時、その帰りまで一緒にいてやることにしました。
今から思えば、私にとってこれがせめてもの救いだったかな・・・私の近くまで寄って来た彼は、そのまま横になり、お留守番の間ずーっと私の方に顔を向けて、私の存在を確認するようにして寝ていました。その間は呼吸も安定していました。
母も戻り、私が出かける際は「ごめん、行ってくるな。頑張ってな」と声をかけました。結果的にこれが、ボンとの最後の別れになりました。

夜、帰宅途中の電車内で受けた家からの着信・・・その日はずーっと嫌な予感がしていたので、瞬時に察しはつきました。

帰宅後に対面したボンは目こそ開けたままでしたが、まるで眠っているかのようでした。本当にただ、呼吸をしていないだけ。
最期の様子を聞くと、例によって残したご飯を少しずつ、手ずから与えている最中に突然、スーッと全身の力が抜けたかのように崩れ落ち、すぐに呼吸も停まったそうです。
・・・きっと心臓がもう、限界だったんだね。命を燃やし尽くした。
一番大好きだった母ちゃんと触れ合っている最中で、本当に良かったと思います。そばにいた母や弟は驚いただろうけど。

翌25日、かかりつけの先生から紹介していただいたお寺さんで火葬し、見送ってきました。
お花や、元気だった頃は大好きだったご飯、チキン、たまごボ―ロ、チーズ、、、そして母・弟・私の3人が笑顔で見送る写真と共に。
火葬場の担当の女性は優しい方で、仕事振りも真心のこもった素敵な方でした。熱気が立ち込める中、どんなに小さな骨のかけらまでをも灰の中から探し出し、全身のパーツを復元して説明してくださいました。
最後は自らの手で骨壷に納め、一緒に帰宅しました。
本当にいいところで見送ってやれたと思います。

20170525
この日はどんよりとした曇り空でしたが涼しく、暑いのが苦手だった彼には良かったのかな。
それに火葬している最中、一瞬ですが火葬場の上空に晴れ間がのぞきました。きっとあの瞬間、無事に天国へ行けたんだね。

出会ってからの14年1ヶ月、たくさんの笑顔と幸せと愛をくれました。きっと君も幸せだったよね?
共に過ごした日々、寸分の空白もなく、とことん愛し抜いた。そこには一点の曇りも疑いも悔いもないよ・・・すがすがしいほどに。

20170521
最後に、彼の生前最後に撮った写真を添えて、愛犬ボンの記事も締めくくりたいと思います。
この記事は特に、SNS上での更新告知は流しません。きっと普段から私のblogをご覧いただいている方は、ボンのことも気にとめてくださっていたと思うから。
長い間、当blogやtwitterを介してボンを可愛がり、応援してくださった方々には感謝の言葉もありません。叶うことならば、これからも私と会ったり、絡んでいただいた際にちょっとだけ、彼のことを思い出してやってください。
本当にありがとうございました。

ボン、今まで本当にありがとね!
君と出会えてからというもの、信じられないくらいに毎日が刺激的で感動的で、幸せに満ちた日々だったよ。
心から愛してる、大好きだよ、ボン!
しばらくは直接触れてやることはできないけど、みんな君のハートとともにいるよ。僕らの胸にも君はずーっといる。
もう息切れもしないし、4年前に痛めた“あんよ”も痛くない。好きなものを好きなだけ食べてもいいんだよ。自由気儘に、好き勝手過ごしながら待っててね。
いつかまた、そっちで抱っこしてやれる日まで♪

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