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2017年6月21日 (水)

白河の関

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みちのくの玄関口・・・白河関跡

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古関蹟
の碑
白河の関は古代から陸奥への関門として知られてきましたが、江戸時代も後期になるまで、その位置を特定できていなかったようです。
それを調査・考証し、この地(福島県白河市旗宿関ノ森)を白河の関の跡地であると断定したのは、白河藩主で老中にもなる松平定信でした。
これは寛政12年(1800)に建てられた、考証の経緯を記した石碑です。

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説明板にある通り、源義経ゆかりの矢立の松碑。

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白河神社
源頼義、義家、頼朝、義経ら錚々たる面々の奉献を受け、元和元年(1615)には伊達政宗も社殿を奉納したとか・・・もう少し社殿もしっかり拝観しておくべきだったか…(^_^;)

実際に訪れるまでは白河の関跡といっても、こちらの白河神社が建っているだけだろうと思っていましたが、この本殿横(南)に凄い遺構が残っていました・・・。

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横堀に土橋、土橋の先には関所施設の跡地か・・・曲輪も。

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曲輪はかなりの広さで、北・東・南面には土塁もしっかり残っていました。

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曲輪北面の横堀

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北東隅のコーナー部分

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東面の横堀
この横堀を南へ進むと・・・

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南東隅は横矢が掛かり、出枡のようになっていました。

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出枡側から北向きに横堀を見る・・・美しい曲線。

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南側の虎口?
こちら側は土塁も切れ、形状が少し不明瞭でした。

しかし予想外に素晴らしい遺構を堪能させていただきました。
これはもう、中世の単郭城館跡・・・お城と呼んでも差し支えないでしょう。
発掘調査で周囲からは竪穴式住居跡も出土しており、縄文時代から古代、中世に至るまで幅広い年代に渡って利用されてきた痕跡の残る遺跡なのだとか・・・これからも大切に伝えていきたいですね。

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最後に、松尾芭蕉と曽良の像。
「奥の細道」といえば、白河の関・・・ですね。

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