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2017年7月

2017年7月30日 (日)

早川城

雨のパラつく日曜日、新車の慣らし運転がてら、神奈川県綾瀬市までドライブしてきました。

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向かった先は早川城跡
夏場の城攻めは何かと苦労が付き物ですが、ここは城山公園として整備されており、且つ駐車場も完備で、ちょっとしたドライブついでには最適♪

早川城は南北に伸びる舌状台地の先端部(南)に築かれた城跡で、その築城は鎌倉期の御家人・渋谷氏によるものと考えられています。
また、この台地上からは縄文期の土器や竪穴式住居跡も発掘されているようです。

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公園北側の駐車場に車を停め、南へ向かって進むとすぐに台地を分断する堀切と、それに架かる土橋が現れます。

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土橋上から西側の堀切。

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そして東側の堀切。
想像以上に規模の大きな堀切でした。
写真右手側が主郭になりますが、その土塁もなかなか立派なものです。

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主郭は公園として綺麗に整備されていますが、かなりの広さがあります。

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主郭、物見塚の上に建っていた東郷氏祖先発跡地碑
旧海軍元帥・東郷平八郎は、渋谷氏の末裔でもあったようです。

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舌状台地の先端方向。
左手には主郭東面の土塁がうっすらと残ります。

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主郭西面下、腰郭を覗く。

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舌状台地先端の下にも、腰郭らしき平坦地が。

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その舌状台地を南東側から。
早川城山公園は住宅地にあり、駐車場から歩いてくると分かりづらいのですが、こうして見るとかなりの要害の地に築かれていたことが分かります。

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同じく北東側から。

早川城跡。見応えのある遺構としては、最初にご紹介した堀切くらい・・・かな。
この日はあいにくの空模様でもありましたが、しかし地形も合わせて見ていくと、ちょっとした散策ついでとしては楽しめました。

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2017年7月26日 (水)

「戦国!井伊直虎から直政へ」展

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江戸東京博物館で開催中の特別展戦国!井伊直虎から直政へに行ってきました。
無論、2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」に合わせた開催で、多くの来館者で賑わっていました。
ドラマで描写された歴史やエピソードを、実際の史料等でより深く知るにも、いい展示構成だったと思います。

いつもの如く、個人的に印象に残ったものを独断と偏見?でピックアップすると・・・

寿桂尼朱印状
(とつぐ)の朱印がしっかりと捺されていました。

・雪斎の袈裟
臨済寺で拝観した時は畳まれていましたが、今回は広げて展示されています。

刀 無銘 伝左
通称「織田左文字
「享保名物帳」に「信長公御物御二男信雄卿へ進せらる如何なる伝なるか掃部頭殿に有り、」とあり、織田信長から信雄を経て井伊直政へと渡ったことが知れます。
関東大震災で焼けてしまいましたが、改めて鍛え直されて現在の姿に復元されています。
※信長が桶狭間で今川義元を討って手にした「義元左文字」とは別。

井伊家伝記
有名な「次郎法師ハ女にこそあれ井伊家の惣領に生候間~(云々)」の頁を開いて展示されていました。

井伊直虎・関口氏経連署状
いわずと知れた、「直虎」の署名が現存する唯一の史料。

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青葉の笛
小野政直の死を受け、逃亡先の信濃から井伊谷へ戻ることになった井伊直親が、寺野八幡(寺野六所神社)へ奉納した笛です。

今川氏真判物(永禄3年8月5日・龍潭寺)
桶狭間合戦の直後に出されたもので、井伊直盛の討死を受け、「直盛寄進の通りに」と龍潭寺の権利を保証した禁制のような内容。
合戦で当主を喪った国衆や関係先への、大名のフォローが垣間見えるようで興味深かったです。

井伊谷徳政に関連して・・・
匂坂直興書状(蜂前神社)
(永禄10年6月30日/同12月28日/永禄11年1月25日/同8月3日)
関口氏経書状(永禄11年8月4日)
徳政の実現に向けて駿府で交渉を続ける匂坂直興が、祝田の禰宜に向けて刻々と交渉経過を報告している内容。
関口氏経の書状は直虎(次郎)や井伊家家中(写)に対し、徳政の実行を迫る内容になっており、件の「井伊直虎・関口氏経連署状」と合わせ、井伊谷徳政に関連した人々の“裏の動き”が垣間見えて非常に興味深い内容になっています。

本多忠勝像
9度も描き直させてようやく得心したという肖像画だけに、かなり忠勝本人を忠実に再現しているかも?

黒糸威胴丸具足(鹿角脇立兜)
上の肖像画でも着用している、「本多忠勝といえばこの兜(甲冑)」ともいうべき一領。

他にも今川氏や井伊氏の歴代当主木像や、栄華を偲ばす茶器・武具、徳川家に関する展示史料なども豊富でした。

東京での開催は8月6日までですが、静岡や彦根でも開催を予定しているようなので、戦国好きや大河ドラマをご覧になっている方には是非、足を運んでみることをお薦めいたします。

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2017年7月20日 (木)

島津の退き口 (関ヶ原~多良)

夏の岐阜旅2017、2日め(7月17日)は島津の退き口です。

慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原の戦い
合戦に敗れた西軍に属す島津義弘の軍勢は、東軍総大将・徳川家康本陣の鼻先を掠めるようにして敵中を突破、追撃する東軍諸隊と壮絶な退却戦を繰り広げつつ、伊勢街道を南下して戦場を離脱します。これがいわゆる島津の退き口

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という訳で、この日のスタートは関ヶ原古戦場、島津義弘陣跡から。

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島津義弘陣跡から見る開戦地、小西行長陣跡、そして松尾山(小早川秀秋陣跡)。
まさに西軍の最前線ライン上ともいえる位置取りなのですが・・・島津隊は二番備えだったとも云われており、案内板によると実際にはもう少し後方に布陣していたようです。

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島津隊の戦場離脱ルート。
家康本陣の脇を掠めるようにして伊勢街道へ向かっています。

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なんとか家康本陣近くを通り抜け、伊勢街道へ出た先・・・烏頭坂

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烏頭坂に建つ島津豊久顕彰碑
義弘の甥(弟・家久息)である豊久は、大将の義弘を逃がすためにこの地に踏みとどまり、殿(しんがり)を務めて奮戦します。
これまで一般的に豊久は、烏頭坂での殿戦で義弘の身代わりとなって討死を遂げたとも伝えられてきましたが、一説には重傷を負いつつも家臣に守られ、多良(大垣市上石津町)の辺りまで逃れたという伝承も残っているようです。
今回は我々も、この伝承を追って更に南へ進んでみることにします。

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移動中に見かけて立ち寄った木曽神社。
源頼朝の追討軍に敗れて戦死した源(木曽)義仲。
旧臣に守られ、この地に隠棲した息女・糸姫は義仲寺(後に宝聚院。義仲墓所あり)を建立して父の菩提を弔ったと云います。

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近くには地蔵群の脇に、義仲を詠んだ松尾芭蕉の歌碑も建っていました。

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大垣市上石津町牧田の琳光寺

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琳光寺境内に建つ阿多長寿院盛淳の墓所。
島津家の家老だった阿多長寿院盛淳は、本領蒲生の兵70を引き連れて義弘の元へ馳せ参じ、関ヶ原に参陣していました。
西軍の敗色が濃厚となって島津隊が戦場に孤立すると、主君・義弘は切腹しようとしますが、盛淳は豊久と共にこれを諫め、退却戦に移りました。
豊久の烏頭坂に続き、盛淳はここ牧田に踏みとどまって殿を務め、義弘の退却を見届けると拝領した陣羽織をまとって追いすがる東軍の中へ斬り込み、壮絶な討死を遂げました。

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琳光寺近くには、盛淳の顕彰碑も建っていました。

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ちょっとまた寄り道をして・・・西高木家陣屋の長屋門。

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西高木家陣屋図

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結構な規模を誇る石垣と、上屋敷跡へと続く坂(石段?)

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埋門

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井戸跡

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私有地で立ち入れない箇所にも、石垣が覗いていました。

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西高木家は2300石を領する旗本。
その家格に見合う規模なのかどうかは分かりませんが、それにしても立派な石垣に少々驚かされました。

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西高木家陣屋跡には現在、上石津郷土資料館が建っています。

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ちょうど島津豊久を主人公に描いたマンガの原画展が開催されていましたが、個人的には;
・織田信長の朱印状
・羽柴秀吉の書状(賤ヶ岳合戦直後、戦陣からのもの)
・徳川家康の書状
などの方に興味を惹かれました。

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上石津町上多良瑠璃光寺

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瑠璃光寺は、重傷を負って多良まで逃れてきたと云う豊久の菩提寺になっています。
許可を得て、本堂にて豊久の御位牌にもお参りさせていただきました。
慶長五年庚子
嶋光院殿忠道源津大居士神儀
九月十五日

文字もかすれ、煤けたような黒漆地がまた、400年以上もの時の移ろいを醸しだしているようで感動いたしました。

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瑠璃光寺近くの島津塚・・・豊久の墓所と伝わります。
烏頭坂での殿戦で重傷を負いながらも勝地峠を越え、多良まで辿り着いた豊久でしたが、受けた疵重く、これ以上は付き従う家臣らの足手まといになると考え、遂には近くの白拍子谷にて自害したと云います。

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島津の退き口めぐり、ラストはその白拍子谷へ。

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白拍子谷・・・島津豊久最期の地。

島津豊久や阿多盛淳らの奮戦もあり、無事に薩摩へと帰り着くことのできた島津義弘。
島津家では義弘帰還後も、豊久戦死の確報を掴めていなかったらしく、義弘はその後、3年もの長きに渡って家臣に豊久の消息を探らせたのだそうです。
※但し、そうなると豊久に付き従っていた家臣は誰一人、本国へ帰還できなかった(報告できなかった)ということにもなる訳で、であればそもそも豊久が烏頭坂から重傷を負いながらも、多良(白拍子谷)まで辿り着いたという伝承の信憑性は…?と疑問も湧いてきますが、この辺りはよくわからないので、あまり深く追及しないことにします。


この後は、解散前に海津市にある高須松平家の菩提寺・行基寺にも立ち寄りましたが、そちらは再訪の為、過去記事のリンクを貼っておきます。
美濃高須

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2017年7月19日 (水)

450周年の「岐阜」

今年に入って早4度めとなる岐阜への旅。
2017年は織田信長が稲葉山城を攻略して美濃を制圧し、「岐阜」と改めてから450年の節目の年。
それにちなんで岐阜市では、岐阜市信長公450プロジェクトと銘打って様々な試みが実施されています。今回は同プロジェクトに関連するいくつかのイベントに足を運んでみることにしました。

7月16日(日)、岐阜駅前で集合して最初に向かったのは・・・

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ぎふメディアコスモスにて開催されている信長公ギャラリー

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お目当ては「おもてなし劇場」で上映される岐阜城山麓居館のCG
信長の小姓に扮したMCの先導で見学してまわるという設定で、15分ほどの内容でした。
奥御殿や茶室の周辺が中心で、CG自体は素晴らしいのですが、もう少し全体をくまなく紹介して欲しかったなぁ…というのが正直な感想です。

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他にも、自らCGを操作して山麓居館をバーチャル散策できるコーナーなどがありました。

入館無料ですし、私のような遠来者のみならず、地元の方々にも多く足を運んでいただき、改めて信長のいた時代の岐阜城の姿に思いを馳せ、郷土の誇りを感じてもらうきっかけになればいいな、と思える企画でした。

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さて、お次は長良川沿いのとあるホテルへ移動し、川沿いの一室へ通されて・・・

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予め予約を入れておいていただいた、信長の饗応膳にて昼食です。
料理は勿論のこと、天下布武の朱印に織田木瓜紋・・・その全てに目も心も奪われます。

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献立
鯉に鮑、宇治丸(鰻)、巻きするめ・・・更にようひ餅が入っているあたり、やはり信長が天正10年5月15日に、安土城で徳川家康をもてなした際の献立(「続群書類従」)を参考に再現しているようです。

天正十年安土御献立
於安土上様。三河守殿。御申献立。拾伍日をちつき。

本膳
たこ/たいのやき物/な汁/のなます/かうの物
(香の物)/ふなのすし/御めし
二膳
うるか
(鮎のわたの塩辛)うちまる(宇治丸:ぶつ切り鰻の蒲焼)/ほやひや汁/ふとに/かいあわひ(鮑)/はむ(鱧)/こいの汁
三膳
やきとり/やまのいも・つる(鶴)しる/かさめ(がざみ:渡り蟹)/にし(タニシ)/すゝき(鱸)
四膳
まきするめ/しきつほ(鴫の壺焼き)/ふな汁/しゐたけ
五膳
まなかつうを さしみ(真魚鰹の刺身)/しやうかす(生姜酢)/かわらけ入こほう(牛蒡)/かも汁/けつりこふ(削り昆布)
御くハし(御菓子) ふちたか足をつけて(容器の説明)
やうひもち(求肥餅)/まめあめ/ミのかき(美濃柿)/はなにこふ(花昆布)/から花(造花)

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用いられる器の一つ一つにも全て、木瓜紋が入っています。

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鯉の洗は人生初体験でした。

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岐阜城下、長良川の畔で信長の饗応膳を堪能する・・・織田信長を追い求める者にとってはまたとない、贅沢なひと時でした。

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饗応膳を堪能した後は岐阜公園へ移動。
岐阜市歴史博物館で開催中のGifu信長展で;

ルイス・フロイス書簡写(原本/1569)
・フランシスコ・ザビエル書簡(自筆/1549)
※何故か署名部分が切り取られている。
・太田牛一自筆の信長記(岡山大学附属図書館)
・唐物肩衝茶入 銘:勢高
・唐物文琳茶入 銘:本能寺
・織田信長制札 北加納宛(永禄10年9月日)
・数々の織田信長書状類

などを見学してきました。
※後期展示にも必ず足を運びます。

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午前中にCGで見学した山麓居館跡を抜けて・・・

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ロープウェイで金華山の山頂へ。

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岐阜城資料館の特別展信長公の隠れ家

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その中のテーマ展示マンガに描かれた信長公

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7月1日~9月28日までの期間は、宮下英樹氏「センゴク」の複製原画が展示されています。

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織田信長肖像画(長野剛氏)と南蛮胴具足。

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混雑するロープウェイを諦め、猛暑(35度超え!)の中、岐阜城の大手とされる七曲り道で下山。

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暑くて大変でしたが、実は岐阜城の登城路を歩くのは初めてだったので、密かに嬉しかったりする(笑)

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途中、ちょっと気になる痕跡も・・・道?

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岩盤がセットバックに切り開かれている箇所も。
・・・本当はこの、平に整地された岩盤部分が道だったのかな?

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岐阜市街へ戻り、夜は恒例のギフナイト☆
貴重で美味しい日本酒も味わい、2次会まで楽しく過ごしました。

岐阜市信長公450プロジェクト
勿論、私自身も楽しませていただきましたが、これがより多くの岐阜市民の方が歴史に関心を持つきっかけになるといいな、と思いました。地元の関心が高まってこそ、文化財の保護などへの認識も高まるでしょうし。
そういった点でCGやマンガをテーマに用いた展示は、門戸を広げる意味に於いて面白い試みなのかもしれません。応援したいと思います。

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