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2017年8月27日 (日)

「Gifu信長」展(後期)

20170819b
7月にも訪れた岐阜市歴史博物館のGifu信長展

再訪の一番の目的は、8月11~20日の期間限定で公開された、
織田信長像(狩野元秀筆/天正11年) 長興寺蔵
を拝観すること。歴史の教科書などにも必ず掲載されている、信長といえば誰もが真っ先にイメージする有名な肖像画ですね。
割と最近になって修復されたようで、色彩はとても鮮やかでした。
日曜日とはいえさほどの混雑もなく、お蔭で白い小袖の薄っすらとした文様や刀に差し込まれた金の笄まで、具にゆっくりと観察することができました。

それ以外で興味を惹かれたものといえば、何といっても;
織田信長制札 楽市場宛 永禄10年10月日 円徳寺
織田信長制札 加納宛 永禄11年9月日 円徳寺
の二つの制札(木札)ですね。
永禄10年の楽市場宛のものは全体的に日焼けによる傷みが目立ち、裏には立て札として掲げられていた際の木の棒の痕がクッキリと残り、それに沿って縦に釘穴も2ヶ所ありました。
それに対して永禄11年の加納宛の方は、文字がクッキリと見て取れるほどに保存状態も良く、裏にも棒の痕はなく、真ん中の上寄りに横並びで2つ、小さな穴が開いていました。
永禄11年版は町の往来ではなく、どこか屋内に紐で吊るしていたのかもしれないな、などと考えました。

信長が美濃を制圧したばかりの永禄10年段階では、戦火によって荒廃した市場(町)の復興を企図して楽市楽座を打ち出し、往来に掲げて人々を呼び寄せ、1年を経た永禄11年にはある程度の復興も成って町が形成され、制札をあえて往来に掲げておく必要性も薄れてきたために屋内で保管したのではないか、との説もあるようです。
この辺りに、制札の宛名が「楽市場」→「加納」に変化した理由も潜んでいそうですね。


■以下は私自身の拝観記録のための羅列です。
冗長になってしまうので、詳細は省きます。

・織田信長像 總見寺(名古屋市)
・足利義昭御内書 上杉輝虎宛 (永禄11年)7月12日
・武田信玄(晴信)像 高野山持明院
・織田信長書状 直江景綱宛 (永禄12年)2月10日
・織田信長書状 直江景綱宛 (永禄12年)4月7日
※以上2点、駿河へ侵攻したものの北条家との対立に至って窮した武田信玄が、足利義昭・織田信長へ斡旋を依頼した「甲越和与」へ向けた、信長と上杉方の交渉経過。
・織田信長書状 上杉謙信宛 (元亀2年)9月25日
・太刀 銘長光 名物 津田遠江長光

全体的に、7月に訪問した前期よりも後期の方がより楽しめました。

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