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2017年8月16日 (水)

高麗神社と高麗家住宅

冴えない天候が続いた2017年の盆休み。
(私にとっての)最終日となる8月15日もあいにくの雨模様でしたが、退屈しのぎにぶら~っとドライブしてきました・・・道中、豪雨に見舞われて大層難儀しましたけど(・・;)

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向かった先は埼玉県日高市にある高麗神社
数年前、すぐ近くの聖天院を訪れた際に高麗郡の歴史にも少し興味を持ち、機会があればお参りしてみようと思いつつ、今に至りました。
祭神は高麗王若光。明治中期まで現在の日高市や鶴ヶ島市などに跨って存在していた高麗郡の、初代郡長となった人物でもあります。

唐からの圧力を受けて情勢が逼迫する中、高句麗は666年、大和朝廷へ5月と10月の2度に渡って使節を派遣しています。その折の使節として、日本側の記録である「日本書紀」に「若光」の名が見えます
高句麗は結局、唐・新羅連合軍に攻められて667年に滅亡したため、使節として日本を訪れていた若光の帰国は叶わず、二度と再び故国の地を踏むことはありませんでした。
高句麗滅亡と前後し、多くの高句麗人も渡来しています。

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そんな高句麗からの渡来人ゆかりの神社とあって、境内には朝鮮半島に多く見られるという将軍標(道祖神/村落の境界標)も建っています。

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御神門を通って御本殿参拝へ。

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御本殿(御社殿)

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高麗郡建郡千三百年高麗王若光の記念碑

乙未 従五位下高麗
若光賜王姓

「続日本記」大宝三年(703)四月の条

訳)乙未、従五位下高麗若光に王の姓を賜ふ。
※「王」(こにきし)の賜姓は、若光が高句麗の王族一員だったためと考えられています。

辛卯 以駿河 甲斐
相模 上総 下総
常陸 下野七國高麗
人千七百九十九人
遷于武蔵國 始置
高麗郡焉

「続日本記」霊亀二年(716)五月の条

訳)辛卯、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の七国の高麗人千七百九十九人を以て、武蔵国に遷し、高麗郡を置く

ここにある通り、大和朝廷は若光に「王」姓を与え、716年には東国各地に散住していた高句麗からの渡来人1,799人を武蔵国に集めて高麗郡を設置しました。
昨年(2016)がちょうど建郡1300年の節目にあたり、こちらはその記念に設置された石碑のようです。

若光の没後、高麗郡の人々は若光を日本の神式でも祀ることにし、これが高麗神社の始まりとされています。
以来、若光の子孫とされる高麗氏が代々宮司を務め、1300年近くを経た現在は第60代を数えます。

また、すぐ近くの聖天院(旧勝楽寺/若光の菩提寺)にも、若光を祀る高麗王廟があります。
(⇒参照記事

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御本殿裏に保存されている高麗氏の旧宅。
慶長年間(1596~1615)の築と伝わります。
※内部見学には事前申請が必要。

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祖国を追われた人々が、遠く離れた日本の東国で紡いできた1300年もの長き歴史。
聖天院と合わせて訪れることで、そのほんの一端には触れられたような気がしてきます。

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