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2017年8月28日 (月)

「天下人の城」展

岐阜市歴史博物館を辞した後は岐阜タンメンを食しつつ南下し、名古屋市の徳川美術館へ。

20170819c
話題の天下人の城展を拝観してきました。
既に訪問された方も多く、応援ブログ等でもたくさん取り上げられているので詳細は省きますが、こちらで私が個人的に魅かれたのは;

脇差 銘吉光・亀王丸 号 蜘蛛切丸(熱田神宮)
刀 名物 義元左文字(建勲神社)
織田信長永禄3年に熱田社へ奉納した(「張州雑志」)と伝わり、桶狭間合戦の戦勝祈願に奉納したとも云われる蜘蛛切丸。それが、その桶狭間の勝利で手にした義元左文字と並べて展示されている姿には、やはり特別な感慨が湧いてきました。
※ちなみに義元左文字は3度目の拝観になるのですが、今回も茎の金象嵌は「義元討取刻・・・」の側を向けて展示されており、「織田尾張守信長」を観ることは叶いませんでした。

唐物茶壺 銘松花
唐物茶壺 銘金花
信長・秀吉・家康の歴代天下人が所持した大名物。
「信長公記」にも;

せうくわの壷・きんくわの壺とて、隠れなき名物参り、御機嫌斜ならず。
(信長公記 巻九「安土の御普請首尾仕るの事」)

とその名が登場します。
過去にもそれぞれを個別に拝観したことはありましたが、今回はその2つが同時に並べて展示されており、とても感動的でした。

脇差 無銘あざ丸
千秋紀伊守、景清所持のあざ丸を最後にさゝれたり。此の刀、陰山掃部助求めさし候て、
~中略~
陰山掃部助左のまなこにあたる。其の矢を抜き侯へば、又、二の矢に右の眼を射つぶす。其の後、此のあざ丸、惟住五郎左衛門所へ廻り来たり、五郎左衛門眼病頻に相煩ふ此の刀所持の人は必ず日を煩ふの由風聞侯。熱田へまいらせられ然るべしと、皆、人毎に異見侯。これにより、熱田大明神へ進納侯てより、即時に日もよく罷り成り侯なり
(信長公記 首巻「景清あざ丸刀の事」)

これまた、「信長公記」に登場する脇差。熱田神宮に奉納された経緯もはっきりしており、曰くありげなエピソードが更に特別な魅力を加えているかのようです。

織田信長書状 おね宛
こちらも3度目くらいの拝観になりますが、最も好きな信長文書の一つでもあります。
参照記事

真田信繁自筆書状 小山田壱岐守(茂誠)宛 (慶長20年)二月八日
「歯も抜け、髭にも黒いところはなく、白い髭ばかりになった」と、老いへの嘆き?を綴った有名な書状ですね。
平成28年に再発見されたばかりの自筆文書です。


■以下、自らの拝観記録のために列挙。

・小豆坂合戦ノ図
・斎藤道三書状 織田玄蕃允宛 天文22年頃
・今川義元木像 正徳4年 長福寺(名古屋市)
・松井宗信木像 嘉永2年 長福寺(名古屋市)
・今川義元旧位牌 長福寺(名古屋市)
・桶狭間合戦戦死者位牌 二基 長福寺(名古屋市)
・桶狭間合戦討死者書上 長福寺(名古屋市)
※信長勢の戦死者の中に「近江国佐々木方」が含まれており、近江六角氏からの援兵があったことを匂わせる史料。
公開されるのは初めてかもしれませんが、その存在については既に数年前には指摘されており、私も桶狭間を訪問した折などに耳にしておりました。

・尾州知多郡大高内鷲津丸根古城図
・織田信長書状 沢源三郎宛 天正弐十一月廿四日
※平成29年新発見の鷹匠宛。
・脇差 銘吉光 名物 鯰尾藤四郎
・純金天目 伝豊臣秀吉所用
※単純な全面純金製ではなく、金の釉を垂らして景色を作っているところに興味を惹かれました。
・真珠付純金団扇 伝豊臣秀吉所用
・金箔押木瓜紋飾り瓦 清州城下町遺跡出土金箔瓦の内

さすがに話題になっているだけあって、充実の展示構成・内容でした。

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