島原角屋
船岡山から地下鉄鞍馬口へ向かって歩いている途中、たまたま出くわした妙覚寺。
本能寺の変の際、織田信忠が宿所としていたお寺ですね。当時は二条衣棚にありましたが、後に秀吉によって現在地へ移されました。
有名な「斎藤道三の遺言状」、或いは「美濃国譲り状」とも呼ばれる書状の一つも、こちらで所蔵されています。
地下鉄を乗り継ぎ、二条城前からJR二条駅へ向かって歩いている途中で見かけた小浜藩邸跡の碑。
JR丹波口駅近くにある、平安京朱雀大路跡の碑。
平安後期には既に荒廃しつつあったという朱雀大路。その痕跡は現在の千本通りにあたるようです。
西本願寺のすぐ西、平安中学・高校脇の小路。
この付近に明治期、元新選組で西本願寺に勤務していた島田魁が住んでいたそうです。
そしてようやく島原へ・・・島原大門。
置屋として歴史を重ねてきた輪違屋。
浅田次郎氏の小説の舞台にもなっていますね。現在は宴席の場として営業されていますが、数年前に特別公開された折に見学させていただきました。(参照記事)
今回の旅最後の目的地・・・角屋。
島原には何度か訪れていますが、どういう訳かタイミングが合わず、角屋の内部を見学するのは今回が初めてとなります。
玄関
玄関に残る刀傷
台所
こちらに新選組掛売禁止の古文書(慶応2年9月/新選組の調役がこれまでのツケを清算し、今後は隊士への掛け売りを禁じ、もしツケを強要する隊士がいたら届け出るように通達した内容)も展示されていました。
刀箪笥
網代の間
一通り一階を見学したところで、いよいよニ階へ。
ニ階は撮影禁止のため写真はありませんが、合計で10以上ものお座敷を、襖の絵や欄干の形状・壁の色・釘隠しに至るまで、丁寧に説明しながらご案内いただきました。
特に青貝の間は素晴らしかった。見事な螺鈿細工の壁、そして柱の3ヶ所につけられた深い刀傷・・・感激。
※どうも新選組は、座敷に刀を持ち込んでいたようですね(笑)
最後に、一階の松の間から臥龍松の庭の眺め。
松の間は大正14年の火災で一度焼失しており、角屋の座敷の中では唯一文化財指定を外れています。
また臥龍松も今は枯れ、現在のものは3本の若い松で臥せる龍を再現していました。
一人旅は何気に久しぶりでしたが、当初の目的も果たせて今回もいい旅になりました。
京都にはこれからも折を見て訪れたいと思います。
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