篠脇城、郡上八幡城 城友会2017…①
年一回の恒例となった城友会、なんだかんだで私も6年連続での参加となりました。
今年(2017年)は奥美濃~飛騨のお城をめぐります。

初日(11/25)はまず、岐阜県郡上市大和町の篠脇城へ。

篠脇城図
篠脇城は1300年代の前半に東氏が築城し、後に郡上八幡の赤谷山に移るまでの200年以上、東氏の居城とされてきました。
東氏は、古今和歌集の解釈を相伝する古今伝授を成立させた東常縁を輩出したことでも知られます。
※個人的には4年ぶりの再訪で、コチラの記事でもご紹介していますので今回は簡単に済ませます。

山麓にある東氏居館跡前の登り口から、九十九折れの登山道を延々と登り続けること15~20分、ようやく大きな竪堀が現れます。

本丸と、その一段下に二の丸。

篠脇城の代名詞ともいえる畝状竪堀群。
時期的なものもあるのでしょうが、前回訪問時よりも綺麗に見ることができ、改めて感動しました。

下山後は昼食・・・ご当地グルメの奥美濃ガーリックライスカレー。
隠し味?には味噌が使われているそうです。
昼食後は同じ郡上市の白鳥町まで移動し、二日町城を目指しましたが・・・
篠脇城からは少し北上するだけなのですが、白鳥町が近付くにつれて徐々に沿道の雪景色は深まっていき・・・

城山の麓に至ってはご覧の積雪。。。(写真提供:こばたかさん)
林道が完全に埋没しており、少しだけトライしてみたものの、危険と判断して撤退しました。
あくまでも安全第一であってこその、楽しい城攻めですからね。

という訳で若干の予定変更はありましたが、この日の2城目は郡上八幡城(郡上市八幡町柳町)へ。こちらも4年ぶりの再訪。
※郡上八幡到着後、まずは麓の安養寺に立ち寄りましたが、そちらはまた別の記事にして後日UPします。
安養寺の駐車場に車を停め、そこから徒歩で城山を登りました。

紅葉も盛りを過ぎた郡上八幡城天守。
郡上八幡城は永禄2年(1559)に、赤谷山城の東氏を攻め滅ぼした遠藤氏(東氏庶流)によって築城されました。
その後、天正16年(1588)には稲葉貞通が城主となり、貞通の手によって大改修が施されて、近世城郭としての礎が築かれています。

魚の形をした城下町。

現在は山上の駐車場になっている大堀切?にあった首洗い井戸跡。
次は駐車場を挟んで天守とは反対側の遊歩道へ進み、搦手(北)にあるという2本の堀切を確認しに行きます。

堀切1本目・・・熊笹に覆われて見えづらいというのもあるけど、切岸も緩やかでちょっと薄い印象かなぁ・・・。
しかし・・・

1本目の少し先、尾根が低く落ち込む鞍部に素晴らしいものがありました。
・・・もう見えていますね。

2本目の堀切。
土橋の分だけを削り残し、後は見事にザックリと切り落とされています。
幅もかなりなもの。

反対の城外側から。
深い堀切に狭い土橋、そこへ横矢を掛ける高い切岸・・・城側の防衛意図が明瞭に伝わってくるような遺構でした。
郡上八幡城は慶長5年(1600)9月1日、関ヶ原の前哨戦で家康方の軍勢(豊臣政権下で没収された郡上への返り咲きを目論む遠藤氏など)に攻められていますが、その際、この搦手を攻めた金森可重の手勢はこれらの堀切の堅い守りに阻まれ、力攻めでの攻略は成らなかったと云います。

夕暮れ迫る郡上の町並み。
日没時間もすっかりと早まった11月下旬、初日の城攻めはこれで切り上げ、宿を取っている飛騨高山へ移動します。

移動途中、休憩で立ち寄ったひるがの高原SA・・・雪(;・∀・)
高山到着後は飲み会~城友会恒例のカラオケへ。
そして当然のように、カラオケが終わる頃には日付が変わっているという・・・ね(^_^;)

〆には飛騨中華そば・・・頭(笑)

体も温まったところで・・・おやすみなさい(-_-)zzz
(2日目へつづく)
今年(2017年)は奥美濃~飛騨のお城をめぐります。

初日(11/25)はまず、岐阜県郡上市大和町の篠脇城へ。

篠脇城図
篠脇城は1300年代の前半に東氏が築城し、後に郡上八幡の赤谷山に移るまでの200年以上、東氏の居城とされてきました。
東氏は、古今和歌集の解釈を相伝する古今伝授を成立させた東常縁を輩出したことでも知られます。
※個人的には4年ぶりの再訪で、コチラの記事でもご紹介していますので今回は簡単に済ませます。

山麓にある東氏居館跡前の登り口から、九十九折れの登山道を延々と登り続けること15~20分、ようやく大きな竪堀が現れます。

本丸と、その一段下に二の丸。

篠脇城の代名詞ともいえる畝状竪堀群。
時期的なものもあるのでしょうが、前回訪問時よりも綺麗に見ることができ、改めて感動しました。

下山後は昼食・・・ご当地グルメの奥美濃ガーリックライスカレー。
隠し味?には味噌が使われているそうです。
昼食後は同じ郡上市の白鳥町まで移動し、二日町城を目指しましたが・・・
篠脇城からは少し北上するだけなのですが、白鳥町が近付くにつれて徐々に沿道の雪景色は深まっていき・・・

城山の麓に至ってはご覧の積雪。。。(写真提供:こばたかさん)
林道が完全に埋没しており、少しだけトライしてみたものの、危険と判断して撤退しました。
あくまでも安全第一であってこその、楽しい城攻めですからね。

という訳で若干の予定変更はありましたが、この日の2城目は郡上八幡城(郡上市八幡町柳町)へ。こちらも4年ぶりの再訪。
※郡上八幡到着後、まずは麓の安養寺に立ち寄りましたが、そちらはまた別の記事にして後日UPします。
安養寺の駐車場に車を停め、そこから徒歩で城山を登りました。

紅葉も盛りを過ぎた郡上八幡城天守。
郡上八幡城は永禄2年(1559)に、赤谷山城の東氏を攻め滅ぼした遠藤氏(東氏庶流)によって築城されました。
その後、天正16年(1588)には稲葉貞通が城主となり、貞通の手によって大改修が施されて、近世城郭としての礎が築かれています。

魚の形をした城下町。

現在は山上の駐車場になっている大堀切?にあった首洗い井戸跡。
次は駐車場を挟んで天守とは反対側の遊歩道へ進み、搦手(北)にあるという2本の堀切を確認しに行きます。

堀切1本目・・・熊笹に覆われて見えづらいというのもあるけど、切岸も緩やかでちょっと薄い印象かなぁ・・・。
しかし・・・

1本目の少し先、尾根が低く落ち込む鞍部に素晴らしいものがありました。
・・・もう見えていますね。

2本目の堀切。
土橋の分だけを削り残し、後は見事にザックリと切り落とされています。
幅もかなりなもの。

反対の城外側から。
深い堀切に狭い土橋、そこへ横矢を掛ける高い切岸・・・城側の防衛意図が明瞭に伝わってくるような遺構でした。
郡上八幡城は慶長5年(1600)9月1日、関ヶ原の前哨戦で家康方の軍勢(豊臣政権下で没収された郡上への返り咲きを目論む遠藤氏など)に攻められていますが、その際、この搦手を攻めた金森可重の手勢はこれらの堀切の堅い守りに阻まれ、力攻めでの攻略は成らなかったと云います。

夕暮れ迫る郡上の町並み。
日没時間もすっかりと早まった11月下旬、初日の城攻めはこれで切り上げ、宿を取っている飛騨高山へ移動します。

移動途中、休憩で立ち寄ったひるがの高原SA・・・雪(;・∀・)
高山到着後は飲み会~城友会恒例のカラオケへ。
そして当然のように、カラオケが終わる頃には日付が変わっているという・・・ね(^_^;)

〆には飛騨中華そば・・・頭(笑)

体も温まったところで・・・おやすみなさい(-_-)zzz
(2日目へつづく)
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