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2017年11月 3日 (金)

青木家屋敷 (町田市相原)

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11月3日の文化の日は、町田市相原の青木家屋敷へ。
目の前の通りは町田街道の旧道です。

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普段は医院を開業されていて非公開ですが、東京文化財ウィークの一環でこの日だけは敷地内が開放され、主屋などの外観を見学できます。
敷地内は撮影禁止と聞いていましたので、写真はここまで。

青木家屋敷は幕末頃の建立(文久2年/1862の祈祷札あり)と推定されています。多くの間取りを有し、幕末当時としては最上層の大型民家なのだそうです。
外観のみでは詳細までは把握できないものの、玄関の規模などは「然もありなん」と思わせるものがありました。
また、主屋の西南(上写真左隅)と東南の2ヶ所に土蔵が対で建っているのも印象的でした(西南のを上蔵、東南を下蔵と呼びます)。

裏山には自然の傾斜を活かした庭園もあったようで、これら屋敷や庭園は、水戸の弘道館と下屋敷を模して造られたとも伝えられているそうです。

青木家には、天然理心流二代目の近藤三助も出稽古に訪れていたと云われ、実際に彼はここ相原で客死しています。
そのためか・・・

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青木家の近くにある清水寺の観音堂脇には、近藤先生碑と刻まれた三助の供養碑が建っています。

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その基台には発起願主の人々の名前が並びますが、その中には嶋崎周平の名も・・・言わずと知れた天然理心流三代目、後に近藤勇を養子とする近藤周助(周斎)です。
※近藤勇も周助の跡を継ぐにあたり、まず嶋崎家の養子に入って「嶋崎(勝太~)勇」を名乗っています(日野八坂神社の奉納額など)。
何名か「青木」姓も見えますね。

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青木家屋敷、さすがに今も住居兼医院として活用されているだけあって手入れも行き届き、茅葺屋根がとても素敵なお屋敷でした。


■11月24日追記
2017年11月23~28日まで開催されている写真展「写真が語る 八王子の平安時代から未来まで」に於いて、近藤勇が青木家の吉太郎という人物に発行した免許(の写真)が展示されるとの情報を得て確認してきました。
一番気になっていた日付は「慶応二丙寅年六月日」・・・この時期、近藤は京にいて江戸へ戻ったという記録はありません。或いは、江戸の留守を預かる師範や先代の周斎などが「合格」と判断すると、連絡を受けた当代の勇が免許を書いて江戸へ送る、といったようなシステムが機能していたのでしょうか。

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