「佐野の城館跡」展

佐野市郷土博物館(栃木県)へ行ってきました。

佐野市は、足尾銅山鉱毒事件を明治天皇に直訴したことで知られる田中正造の出身地とあって、玄関前には銅像が建ち、彼に関する品々専用の展示室も設けられていましたが・・・

私のお目当てはこちら。
佐野市で第24回 全国山城サミット in 佐野(唐沢山城跡/2017年11月25~26日)が開催されることを記念して開かれている企画展佐野の城館跡です。
同展で展示されている中でもとりわけ;
・波に巻子形兜(号 龍綺/唐沢山神社蔵)
上の写真、「佐野の城館跡」展の看板にも載せられている兜です。
信長公ヨリ拝領之
天正三乙亥九月
秀吉公筑前○○為祝
天徳寺賜之者也
※○部分は失念してしまいました…m(_ _)m
天正3年(1575)、秀吉が筑前守に任官した御祝いとして(?)織田信長から拝領し、後に秀吉から天徳寺宝衍(佐野房綱)に与えられ、更にその家臣の福地氏へと渡りました。
※この福地氏、今回の企画展に展示されていた佐野氏の書状や判物などにも、その宛所として数多く見受けられました(福地出羽守、福地帯刀、etc...)。

山城サミットのロゴのさのまるくんも被っていますね。
・甲冑金具 号 避来矢(唐沢山神社蔵)
佐野氏の祖とされる藤原秀郷(俵藤太)が、三上山の百足退治のお礼として琵琶湖の龍神から贈られた宝物の一つ(他に「米の尽きることのない俵」など)とされる甲冑の金具。実際には秀郷の時代よりも少し新しい時期のもの、とする説もあるようですが。
百足退治のお話も伝説に過ぎませんが、秀郷は平将門追討(天慶3年/940)の功で下野守・武蔵守・鎮守府将軍に任ぜられています。
今回は鉄十五枚厳星兜鉢、小札、壺板(脇楯の上部にある右の脇壺にあてる鉄板)の部分が展示されていました。
以上の2つを特に拝観したく、愛車で駆けつけたのでした。
企画展のタイトルにもなっている城館跡については、詳細に触れているのは唐沢山城や佐野城くらいで、その他は簡単なパネル展示が中心の構成になっています。
もう少しそれぞれの城館の位置関係やその意義、遺構の見所などについてわかり易く解説してあるといいのかなぁ、とも思いました。
※あくまでも個人の感想です。
私は別の遠征が入っていて参加できませんが、山城サミットの成功をお祈りしております。
最後に佐野厄除け大師にも立ち寄り、大師おみくじ(大吉!)を引いてから帰路につきました。
最近は電車旅が続いてあまり乗れていなかったので、愛車にもいい運動になったかな。
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