八神城と金宝寺
白鬚神社参拝後は昼食を挟み、羽島市桑原町の八神城跡へ向かいます。

木曽川の畔に建つ八神渡船の跡碑を眺めつつ・・・

まずは金宝寺へ。
八神城主・毛利氏の菩提寺です。
八神毛利氏は土岐・斎藤・織田氏などに仕えた一族で、江戸時代に入ると尾張徳川家で2000石(当初は3000石)を宛がわれました。

特別に本堂へ上げていただき、江戸時代の古絵図を元に製作された八神城の模型や・・・
(模型の一番奥が金宝寺。この位置関係を参考に、後ほど城跡を歩きます)

毛利氏が徳川家から拝領した駕籠を拝観させていただきました。

駕籠は江戸中期の作と推定されています。
装飾の美麗さは、相当な格式を思わせました。

毛利氏歴代(初代~13代)の墓所
金宝寺を辞した後は、八神城の主郭があったと思われる方向へ向かって歩きます。

左奥の大きな銀杏の木を目印に進みます。
写真右に見えている土塁のような土盛りも気になるところ・・・。

市の天然記念物に指定されている銀杏の足元には、八神城の土塁が僅かに残っていました。
ちなみにこの銀杏、推定樹齢は300年以上で、毛利氏が移植したものと云われています。
なお、現在も八神氏のご子孫がお住まいで、先に訪れた金宝寺のご住職も縁戚なのだそうです。

周辺には堀跡を思わせる箇所もありましたが、正確な位置関係は把握しきれませんでした。
また、周辺には八神城の移築門が2基現存しているそうですが、事前に下調べをしていなかったので見逃しました。

木曽川の畔に建つ八神渡船の跡碑を眺めつつ・・・

まずは金宝寺へ。
八神城主・毛利氏の菩提寺です。
八神毛利氏は土岐・斎藤・織田氏などに仕えた一族で、江戸時代に入ると尾張徳川家で2000石(当初は3000石)を宛がわれました。

特別に本堂へ上げていただき、江戸時代の古絵図を元に製作された八神城の模型や・・・
(模型の一番奥が金宝寺。この位置関係を参考に、後ほど城跡を歩きます)

毛利氏が徳川家から拝領した駕籠を拝観させていただきました。

駕籠は江戸中期の作と推定されています。
装飾の美麗さは、相当な格式を思わせました。

毛利氏歴代(初代~13代)の墓所
金宝寺を辞した後は、八神城の主郭があったと思われる方向へ向かって歩きます。

左奥の大きな銀杏の木を目印に進みます。
写真右に見えている土塁のような土盛りも気になるところ・・・。

市の天然記念物に指定されている銀杏の足元には、八神城の土塁が僅かに残っていました。
ちなみにこの銀杏、推定樹齢は300年以上で、毛利氏が移植したものと云われています。
なお、現在も八神氏のご子孫がお住まいで、先に訪れた金宝寺のご住職も縁戚なのだそうです。

周辺には堀跡を思わせる箇所もありましたが、正確な位置関係は把握しきれませんでした。
また、周辺には八神城の移築門が2基現存しているそうですが、事前に下調べをしていなかったので見逃しました。
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