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2018年1月30日 (火)

江戸城周辺の戦争遺跡

とても寒い1日となった1月最後の日曜日、お誘いをいただいて江戸城の周辺を散策してきました。

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有楽町で集合した後は日比谷方面に向かって歩き、まずは第一生命館を仰ぎ見る。
戦時中は陸軍東部軍管区司令部が置かれ、屋上には高射砲陣地も設置されていたのだとか。
戦後はGHQに接収され、その本部庁舎として利用されていました。平成に入って再開発された際に内部の殆どは改変されたようですが、マッカーサーの総司令官室は保存されています。

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そのまま内濠沿いを進み、桜田門や半蔵門を越えて千鳥ヶ淵を目指します。
1週間前に降った雪が、まだかなり残っていました。

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千鳥ヶ淵高射砲陣地跡
コンクリート製の円形砲台(座)が、全部で7基並んでいます。
すぐ近くには近衛師団司令部の庁舎があり、この陣地には近衛機関砲第一大隊が配置されていたようです。

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この後に訪れた靖国神社遊就館に展示されていた「八八式七・五糎野戦高射砲」
千鳥ヶ淵の陣地に据え付けられていた高射機関砲とは型式が違うようですが、イメージは掴めますね。

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陣地跡から北の方角。
見晴らしのいい高所を利用して築かれていたことがわかります。
高射機関砲はB29などの大型爆撃機ではなく、低空侵入してくる小型機を迎撃するための兵器とのこと。そういった意味でこの見晴らしは、理に適った選地といえそうです。

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普段は「お城」としての江戸城しか観ていませんでしたが、その土塁上にこのような遺跡が残っていたとは・・・驚きました。

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そのまま土塁上を東へ歩いていくと・・・

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首都高によって分断され、一見すると櫓台のようにも見える土塁の先端部分に、不思議な痕跡がありました。土塁上にチラッと、四角いコンクリートが見えています。
奥に見えている建物は旧近衛師団司令部庁舎なのですが、どうやらここには近衛機関砲第一大隊の地下壕があったらしいのです。
先ほどの四角いコンクリートは通気口の跡で・・・

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側面の、こちらのコンクリート部分が入口だったようです。
既に埋まっているようですが、周辺にはロープが張り廻らされて立入禁止になっていました。

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首都高に分断された土塁線
(左側の雪の残る面と、右側の白い壁面がそれぞれ断面)

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旧近衛師団司令部庁舎

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まさに終戦当日の昭和20年8月15日、無条件降伏に反対する一部の若手将校によるクーデター(宮城事件)が起き、説得にあたった森赳師団長が射殺される事件が起きた現場でもあります。

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北白川宮能久親王の銅像
明治28年(1895)、近衛師団長として師団を率いて出征した先の台湾で病に罹り、薨去されました。
ちなみに幕末期には上野寛永寺に入り、公現法親王として寛永寺貫主・日光輪王寺の門跡を務めてもいます。
そのため、慶応4年に戊辰戦争が勃発すると上野に立て籠もった彰義隊に担がれ、上野戦争の敗戦から脱出した後は東北へ逃れ、奥羽列藩同盟の盟主に擁立されたりもしました。

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日本武道館のすぐ脇、近衛歩兵第一聯隊跡記念碑。

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田安門から北の丸を抜け、今度は靖国神社へ向かいます。

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靖国神社では遊就館を一通り見学し、詳しい方に偕行文庫の利用方法などをご案内いただきました。

靖国神社の後は、市ヶ谷~四ッ谷間の外濠沿いの土塁を散策し、この日の行程は終了です。

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夜は新宿の“いつもの”居酒屋で懇親会。
貴重なお話も聞けて、有意義な一日となりました。

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