高良山神籠石

福岡旅3日目、まずは久留米市まで移動して筑後國一宮、高良大社へ。

高麗大社境内に残る神籠石の列石
神籠石とは、九州や瀬戸内地方に存在する列石遺構の総称で、一般的には「日本書紀」や「続日本記」に記述がない古代山城の遺構を指すようで、神籠石式山城とも呼ばれています。
引き続き境内から離れて山中に分け入り、この神籠石のラインを辿っていきます。

高良山の山腹を取り巻く列石
現在確認されている列石の総延長は1.6㎞ですが、未確認の北側などの推定線を含めると4㎞にも及ぶと考えられています。

延々と続く列石は一旦車道に分断されますが・・・

車道の先からまた続いていました。
この列石には古代山城の遺構とする説の他に、神域を示すものとする説もあるようです。
678年の筑後国大地震の影響を受けていると考えられることから、少なくともそれ以前には築造されていたと推定されています。

基本的には一段のみなのですが、一部には二段に積まれている箇所もありました。

大学稲荷神社の辺りで再び車道に出て、ここから少しの間は列石も車道に沿って進みます。

車道沿いで一旦土中に埋もれますが、すぐにまた顔を出し、その先はまた山中へ入っていきます。

竪積みされた列石・・・誰が言ったか、「歯みたい」(笑)

列石が直角に折れるポイント

水門跡
もう殆ど崩れてしまっていますが、明らかに人工的に成形された石を積んでいた痕跡は留めています。
こうして谷筋をも包括的に列石(神籠石式)や土塁・石塁(朝鮮式)で取り巻くのが、古代山城の特徴の一つなのでしょうね。

水門跡の先で、列石は高良大社の参道に出ました。
ここで列石めぐりは終了します。

高良の神が神馬の蹄跡を残したとされる馬蹄石。
中世の縁起書「高良記」には、「この石こそが神籠石で、八葉の石畳(=現在の神籠石列石)の起点・終点である」とあります。
そもそも「神籠石」とは、こうした神の依り代となる石を指す名称でしたが、その近くにあった列石と混同して報告されたために、列石の方を神籠石と呼ぶようになったのだとか・・・現在、列石の呼称の見直しも検討されているのだそうです。

列石を辿ってかなり下りましたので、参道を登って駐車場へ戻ります。
参道も風情があって素敵でした。

お昼は久留米ラーメンで舌鼓♪
この後は基肄城へ向かいます・・・雪の不安しかないけど?!
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