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2018年1月25日 (木)

またも雪に阻まれた・・・基肄城

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2泊3日の福岡旅、最後の行程は基肄城です。
基肄城は唐・新羅の襲来に備え、福岡県筑紫野市と佐賀県基山町とに跨る基山に築かれた古代朝鮮式山城。
南北に連なる東西の尾根や、その間に開く谷をも総延長4.2㎞に及ぶ土塁や石塁で取り巻いています。

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まずは南麓の水門跡から。
修復・復元された立派な石垣が出迎えてくれました。

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東西尾根間の谷の水を排除するために築かれた水門で、今でも水が流れていました。

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それにしても・・・麓でこの残雪(嫌な予感)

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暗渠の中を覗くと・・・つらら(笑)

続いて、基山山頂付近にある草スキー場の駐車場を目指して車で向かったものの・・・

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案の定、ご覧の積雪でタイヤがスタック・・・仕方なく瀧光徳寺奥之院の駐車場まで引き返し、そこから徒歩で向かうことにしました。

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瀧光徳寺奥之院から草スキー場までは1kmほどの道のり、雪道とはいえ20分程度で到着しました。
草スキー場・・・てか、普通にスキー場じゃん(笑)まずはこの斜面を登らないといけません。。。

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※注)決して自らすすんでダイブしたわけではありません。怖い人に「やれ」と命じられたのです(涙)・・・思ったよりは雪が薄く、飛び込んだ瞬間に顔面を打ちつけて痛かった。。。

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膝下までまとわりつく雪を掻き分け、やっとの思いで到達した尾根上部。
大きな岩が何やら城門を思わせますが・・・雪で構造がよくわかりません。

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天智天皇欽仰之碑
大野城や水城などと共に、基肄城築城を命じた天智天皇を顕彰する碑ですね。

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基山山頂から。
すぐ下に「いものがんぎ」と呼ばれる4連続堀切が見えています。

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4連続堀切が芋畑の畝に似ていることから、いものがんぎと呼ばれています。
お城で雁木(がんぎ)というと階段状のものを連想しますが、畝状のものを雁木と表現するのは初めて知りました。
なお、いものがんぎは基肄城の防塁線上にありますが基肄城の遺構ではなく、後にこの地に築かれた中世山城の遺構です。

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写真では雪の影響もあってわかりづらいですが、近づくと結構な深さがあります。

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畝の淵に沿って遊歩道が付いているのですが・・・見事なS字(笑)

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いものがんぎ越しに基山山頂(左奥)
基山山頂は曲輪跡で切岸も明瞭ですが、こちらもいものがんぎ同様、中世山城の遺構になります。

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基肄椽城跡

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土塁線から少し内側へ下ると・・・見えてきましたね。

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大礎石群
総柱式の建物礎石で、基肄城跡から見つかっている40棟あまりの建物礎石の中でも最大のもの。こちらは紛れもなく、古代の遺構です。
立地や雰囲気などから直感的に、食料庫のようなものが建っていたのかなぁと思いましたが、実際に大宰府政庁付近からは、基肄城に米を備蓄していたことを示す木簡が見つかっているようです。

さて、私の帰りのフライト時間の都合もあり、基肄城めぐりもこれまでとなります。

今回の旅は幾度ともなく雪に阻まれる行程となりましたが、その分、水城をじっくりと見れたり、九州歴史資料館で貴重な出土遺物に触れることができたりと、有意義な旅になりました。
これも案内してくれた九州在住のフォロワーさんや、一緒に旅をしてくれる仲間のおかげですね。今回ばかりは一人だったら2日目以降、何もできなかったかも・・・感謝。
そして、大野城や基肄城にはいずれまた必ず再訪します。

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ラストは離陸直後に撮影した、前日に必死になって登った水城から大野城への尾根筋の写真を載せて終わりにします。

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お城、史跡巡り 九州・沖縄」カテゴリの記事

コメント

九州旅お疲れさまでした。
今年最初の旅、ご一緒出来て楽しかったです♫
今年も濃厚な旅しましょうね( ்▿்)

投稿: 流星☆ | 2018年1月25日 (木) 19時32分

流星☆様
月刊歴旅…2018年もよろしくお願いします(^_^)/

投稿: しみず@管理人 | 2018年1月26日 (金) 07時24分

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