生の松原元寇防塁と壱岐神社

2度に及ぶ蒙古の襲来(元寇)。
その1度目となる文永の役(1274)を受けて鎌倉幕府は、元の再襲来に備えて博多湾沿岸一帯に防塁(石築地)を築かせました。
元寇防塁は福岡市内の数ヶ所で保存されており、5年前に博多を訪れた際には西新地区の防塁を見学しましたが、今回は竹崎季長奮戦の地としても知られる(蒙古襲来絵詞)生の松原の元寇防塁に来てみました。

海も綺麗ですが吹きつける強風が冷たく、手の感覚を失うほどに凍えました。。。

復元された元寇防塁の石築地(石垣)

この海の彼方から、元の大船団が現れたのですね・・・。

松原の中を進む遊歩道はちょっとした高まりの上を通り、復元石垣ともラインで繋がりますので、こちらも長い年月の中で砂に埋もれていった防塁の痕跡ではないかと思います。
石の大半は、福岡城築城の際に運び去られたようですが。
2度目の蒙古襲来となった弘安の役(1281)。
攻め来たった彼らの目に、この防塁はどのように映ったのでしょうか。

生の松原元寇防塁の近くに鎮座する壱岐神社。
武内宿禰の身代わりとなった壱岐直真根子を祀る社とされています(日本書紀)。

参道は海へ向かって真っすぐに延びています。

参道の先、海岸に建つ鳥居。

その近くには逆松の碑が建っていました。
神功皇后が松の枝を逆さにして戦勝を占った際、その枝が根付いて松が生き返ったとの伝説から、この地は生の松原と呼ばれるようになったと云われています。
その松は既に枯れていますが、幹が壱岐神社に奉納されているそうです。
さて、これにて旅の初日は終了です。
2日目からは仲間とも合流し、大宰府周辺をじっくりとめぐります。
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