古木江城

愛知県愛西市に位置する古木江城跡

今も周囲を蓮田が取り囲みますが、この辺りは伊勢長島にも近く、木曽三川が集まる低湿地帯の広がる土地柄でした。
信長公の御舎弟織田彦七、尾州の内こきゑ村に足懸かり拵へ、御居城のところに、志賀御陣に御手塞がりの様体見及び申し、長島より一揆蜂起せしめ、取り懸け、日を逐つて、攻め申し候。既に城内へ攻め込むなり。一揆の手にかゝり侯ては御無念とおぼしめし、御天主へ御上り侯て、
霜月廿一日、織田彦七御腹めされ、是非なき題目なり。
(信長公記 巻三「志賀御陣の事」より抜粋)
元亀元年(1570)11月、織田信長が志賀の陣で近江坂本に釘づけにされていると長島の一揆が蜂起し、古木江城を預けられていた信長の弟・信興は自害に追い込まれました。

古木江城跡から長島の方角を望む。
右奥に見えている山の麓には、第一次長島攻めでの退却時に、氏家卜全が討死した場所もあります。

古木江城跡に建つ富岡神社
城の鎮守として、当時から置かれていたものと考えられているようです。
さて、古木江城跡訪問の後は一気に桶狭間まで移動し、太田輝夫先生の講座を拝聴いたしました。

数年前、太田先生のご著書を参考に古戦場を歩き倒しましたので、ご興味のある方はコチラをご参照ください。
| 固定リンク
「織田信長・信長公記」カテゴリの記事
- 別所は連々忠節の者(新発見の織田信長文書)(2022.12.07)
- 旧東海道、藤川宿~池鯉鮒宿(2022.11.15)
- 「こぬか薬師」を拝観(2022.10.13)
- 島津家久が信長を目撃した場所とは?(2022.10.12)
- 織田信長“幻の”京屋敷計画(吉田神社・宗忠神社)(2022.10.11)
コメント