高安寺

府中市の高安寺
その昔、藤原秀郷(俵藤汰)の館跡だった地に創建された見性寺が始まりとされています。
壇ノ浦で平家を討ち果たすも、鎌倉入りを許されなかった源義経が京への帰路に立ち寄り、元弘3年(1333)の分倍河原の戦いに於いては、鎌倉幕府軍と対峙する新田義貞が本陣を布いたとも伝えられている地です。

立派な山門
見性寺はやがて荒廃しますが、後に将軍となった足利尊氏によって再興され、尊氏が全国に展開させていた安国寺の一つ(武蔵国)に位置づけ、寺名も高安寺と改められました。

そのため、本殿(1803年再建)には尊氏の戒名「等持院殿仁山妙義大居士」にちなんだ扁額も。

藤原秀郷を祀る秀郷稲荷

京への帰路に見性寺(高安寺前身)へ立ち寄った源義経は、ここで弁慶らと赦免祈願のための大般若経を写したと云います。
その墨のための水を汲んだとの伝承から、弁慶硯の井と呼ばれる井戸跡もありました。

高安寺は、多摩川の浸食による段丘の縁のような場所に位置しています。
その地理的条件から、高安寺として再興された後も軍事目的で利用され、度々戦乱に巻き込まれてきました。
戦国期には後北条氏の庇護を受けるものの次第に寺勢を失い、慶長年間になって青梅の海禅寺七世・関州徳光禅師が再興し、その末寺に入って現在に至ります。
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