布多天神社

調布市の布多天神社

その境内片隅に建つ日露戦役記念碑

記念碑裏の従軍人名には、新選組局長・近藤勇の娘たまと婿養子・勇五郎の子で、勇にとっては孫にあたる近藤久太郎の名も刻まれています。
彼は日露戦争に出征し、明治38年(1905)に僅か23歳で戦病死しました。
碑文は上石原の名主だった中村勘六の長男・克昌によります。
慶応4年(1868)3月、甲陽鎮撫隊を率いて甲府へ向かう近藤勇は上石原の西光寺で休息し、西光寺の向かいにあった中村勘六邸で歓待を受けています。
・・・世代を経ても、人の縁はこうして繋がっていたのですね。

西光寺門前に建つ近藤勇像
3年ぶりの再訪ですが、銅像が奇麗になっていました。

西光寺の向かい、旧甲州街道を挟んだ対面の中村勘六邸跡。
布多天神社からは、旧甲州街道を西へ1㎞ほどの距離になります。

ところで、布多天神社には天正18年(1590)の小田原征伐の際、豊臣秀吉から発給された制札も残されているようです。
今回は日露戦役記念碑を目当てに布多天神社を参拝しましたが、いずれ機会があれば制札にもお目にかかってみたいものですね。
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