鴻巣宿周辺の歴史散策
GWの混雑を避け、本日は近場へお気軽ドライブ・・・埼玉県鴻巣市へ向かいました。
中山道の宿場町、鴻巣宿の周辺を散策します。
まずは鴻巣市本町の勝願寺へ。
勝願寺は天正年間(1573~93)、鴻巣市登戸から当地へ移され、宗派もそれまでの真言宗から浄土宗に改められて再興されました。
石柱にある「檀林」とは浄土宗僧侶のための学問所・養成所のことで、勝願寺は関東十八檀林の一つにも数えられています。
※移転後の登戸跡地はしばらく衰退しますが、秀忠の代になって元の真言宗寺院として再興され、現在も「勝願寺」として存続しています。(登戸勝願寺)
参道を進むと、石戸藩主から丹後国田辺城主へと転じた牧野氏歴代当主夫妻の墓所がありました。どうやら非公開のようです。
徳川家康も鷹狩で度々鴻巣を訪れており、同寺中興二世の円誉不残上人に帰依して寺領30石を寄進し、「三つ葉葵紋」の使用も許されました。
立派な仁王門
本堂
境内では、ナンジャモンジャが満開の花を咲かせていました。
本堂横に祀られている(向かって左から)仙谷権兵衛秀久・真田信重室・真田信重・小松姫(真田信之室)らの墓所。
仙谷秀久は慶長19年(1614)5月6日、江戸から領国の信州小諸への帰途、ここ鴻巣の地で没しています。
本廟は長野県上田市の芳泉寺にありますが、終焉の地である当寺にも分骨建墓されました。
(偶然ですが、訪れた日は5月4日・・・旧暦と新暦の違いはありますが、僅か2日違いだったのですねぇ・・・)
真田信重は真田信之の三男で慶安元年(1648)に、やはり鴻巣にて病没しています。
隣に眠る彼の室(鳥居左京亮六女)は、夫に続き翌慶安2年に没しました。
小松姫は云わずと知れた本田平八郎忠勝の息女で徳川家康の養女となり、真田信之に嫁した人物。元和6年(1620)2月4日没。
生前、円誉不残上人に帰依した縁で一周忌に際し、勝願寺にも分骨して祀られるようになりました。
(本廟は仙谷秀久と同じ芳泉寺)
中山道と鴻巣宿本陣跡
鴻巣宿は中山道7番目の宿場町で、慶長7年(1602)に北本市の本宿から移されて栄えました。
お次は、“日本で一番小さい東照宮”が祀られている鴻巣御殿跡へ。
鴻巣御殿跡の東照宮(祠)
鴻巣御殿は、鷹狩の際などに利用された徳川将軍のための休泊施設で、家康・秀忠・家光の三代に渡って使用されました。
しかし寛永7年(1630)頃を最後に使用されなくなり、明暦の大火(1657)後には焼失した建物の再建のため、その一部が江戸城へと移築され、元禄4年(1691)になると跡地に東照宮を祀って除地とされました。
江戸図屏風に描かれた鴻巣御殿
・・・もう少し散策を続けます。
鴻巣駅から西へ向かい、20分ほど歩いた先にある・・・伝源経基館跡の横堀。
曲輪内はかなり広い柵平地となっていました。
こちらは・・・櫓台でしょうか?
櫓台の上に建っていた石碑
櫓台から見渡す曲輪
土塁と横堀
食い違いに横矢をかける土塁と堀
中山道の宿場町、鴻巣宿の周辺を散策します。
まずは鴻巣市本町の勝願寺へ。
勝願寺は天正年間(1573~93)、鴻巣市登戸から当地へ移され、宗派もそれまでの真言宗から浄土宗に改められて再興されました。
石柱にある「檀林」とは浄土宗僧侶のための学問所・養成所のことで、勝願寺は関東十八檀林の一つにも数えられています。
※移転後の登戸跡地はしばらく衰退しますが、秀忠の代になって元の真言宗寺院として再興され、現在も「勝願寺」として存続しています。(登戸勝願寺)
参道を進むと、石戸藩主から丹後国田辺城主へと転じた牧野氏歴代当主夫妻の墓所がありました。どうやら非公開のようです。
徳川家康も鷹狩で度々鴻巣を訪れており、同寺中興二世の円誉不残上人に帰依して寺領30石を寄進し、「三つ葉葵紋」の使用も許されました。
立派な仁王門
本堂
境内では、ナンジャモンジャが満開の花を咲かせていました。
本堂横に祀られている(向かって左から)仙谷権兵衛秀久・真田信重室・真田信重・小松姫(真田信之室)らの墓所。
仙谷秀久は慶長19年(1614)5月6日、江戸から領国の信州小諸への帰途、ここ鴻巣の地で没しています。
本廟は長野県上田市の芳泉寺にありますが、終焉の地である当寺にも分骨建墓されました。
(偶然ですが、訪れた日は5月4日・・・旧暦と新暦の違いはありますが、僅か2日違いだったのですねぇ・・・)
真田信重は真田信之の三男で慶安元年(1648)に、やはり鴻巣にて病没しています。
隣に眠る彼の室(鳥居左京亮六女)は、夫に続き翌慶安2年に没しました。
小松姫は云わずと知れた本田平八郎忠勝の息女で徳川家康の養女となり、真田信之に嫁した人物。元和6年(1620)2月4日没。
生前、円誉不残上人に帰依した縁で一周忌に際し、勝願寺にも分骨して祀られるようになりました。
(本廟は仙谷秀久と同じ芳泉寺)
中山道と鴻巣宿本陣跡
鴻巣宿は中山道7番目の宿場町で、慶長7年(1602)に北本市の本宿から移されて栄えました。
お次は、“日本で一番小さい東照宮”が祀られている鴻巣御殿跡へ。
鴻巣御殿跡の東照宮(祠)
鴻巣御殿は、鷹狩の際などに利用された徳川将軍のための休泊施設で、家康・秀忠・家光の三代に渡って使用されました。
しかし寛永7年(1630)頃を最後に使用されなくなり、明暦の大火(1657)後には焼失した建物の再建のため、その一部が江戸城へと移築され、元禄4年(1691)になると跡地に東照宮を祀って除地とされました。
江戸図屏風に描かれた鴻巣御殿
・・・もう少し散策を続けます。
鴻巣駅から西へ向かい、20分ほど歩いた先にある・・・伝源経基館跡の横堀。
曲輪内はかなり広い柵平地となっていました。
こちらは・・・櫓台でしょうか?
櫓台の上に建っていた石碑
櫓台から見渡す曲輪
土塁と横堀
食い違いに横矢をかける土塁と堀
伝源経基館跡・・・中世の豪族居館跡であることは確かと思います。
遺構としては単郭の土塁や横堀のみですが、住宅街に残された貴重な歴史遺産といえるでしょう。
渋滞知らずのお気軽ドライブ&歴史散策・・・リフレッシュできた1日となりました。
遺構としては単郭の土塁や横堀のみですが、住宅街に残された貴重な歴史遺産といえるでしょう。
渋滞知らずのお気軽ドライブ&歴史散策・・・リフレッシュできた1日となりました。
| 固定リンク
「お城、史跡巡り 関東」カテゴリの記事
- 木原城、塙城(2023.07.22)
- 島崎城(2023.07.21)
- 真壁城、中居城(2023.07.20)
- 箕輪城(2023.07.18)
- 沼田城、名胡桃城、小川城(2023.07.17)
コメント