海野宿、芳泉寺
小諸をあとにして向かった先は、北国街道の海野宿(東御市)です。

海野宿の入口に鎮座する白鳥神社。
詳しい創建時期は判っていませんが、「平家物語」や「源平盛衰記」が木曽義仲の挙兵(治承5年/1181)を「白鳥河原の勢揃」として伝えているので、平安時代には既に鎮座していたものと考えられます。
「白鳥河原」とは白鳥神社の前に広がる千曲川の川原のことで、この地は以仁王の令旨に応じた義仲挙兵の地としても知られているのです。
海野荘に勢力を張る海野氏からも、幸親・幸広父子が義仲軍に参陣して活躍しました。
建久2年(1191)には、海野幸広の子(もしくは弟)・幸氏が白鳥神社の社殿を遷しています。
幸氏は義仲の子・清水冠者義高に仕えて鎌倉入りし、その後は頼朝の家臣となって重用されました。
御神木のケヤキは推定樹齢700年以上ということなので、或いはそういった歴史を見守ってきたのかもしれません。

海野宿
寛永2年(1625)の成立と伝わる北国街道の宿場町です。
往時は約650mに渡って旅籠屋造の建物が軒を並べていました。今も「海野格子」と呼ばれる出格子を二階に持つ建物がよく残されています。

こんな立派な「うだつ」も。

平日とあって訪れる人もごく僅かで、とてもゆったりとした気分で散策を楽しめました。

海野宿本陣

こんな案内を目にしたら・・・行かない訳にはいかないでしょう(笑)

海野氏の菩提寺、興善寺。

永正3年(1506)の開創で、開基は海野幸明と伝えられています。
天文10年(1541)、信濃に侵攻した武田晴信(信玄)との戦いで海野幸義が戦死し、海野氏は滅亡しました。

境内に眠る海野幸明の墓所。

海野宿まで戻り、北国街道の往来を眺めながら美味しいお蕎麦をいただきました。
この後は、宿を押さえている上田市へ向かいます。

上田城下の芳泉寺
元和8年(1622)、真田家が松代へ移封された後に小諸から上田に入った仙石忠政は、真田昌幸が当地に置いていた常福寺を下之条へと移転させ、自らの菩提寺であった宝仙寺を小諸から移しました。
延宝2年(1674)、忠政の子・政俊の死後、寺名を芳泉寺と改めています。

真田信之正室・小松姫の墓所。
小松姫は元和6年(1620)、埼玉の鴻巣で没し、勝願寺で密葬されました。
芳泉寺の墓所は、信之が小松姫の一周忌に建立したものです。

小松姫の墓所の隣には、仙石家の霊廟も。
手前は仙石政俊の霊廟で、左奥には藩祖・秀久(政俊祖父)らの霊廟もあります。

仙石権兵衛秀久のお墓。
奇しくも5月には、秀久・小松姫両名の墓参に鴻巣の勝願寺を訪れたばかりでした。
何の因果か共に鴻巣で生涯を終え、親族によって上田でも供養され、、、歴史の偶然に不思議な力を感じた瞬間でした。

ホテルにチェックイン後は、上田駅前へ。
上田には何度か訪れていますが、駅前は初めてなので、こちらの銅像にも初めてお目に掛かりました。

ふらっと入ったお店で一献。
久しぶりに美味しい馬肉もいただけて満足・・・早めに切り上げて、翌日に備えました。

海野宿の入口に鎮座する白鳥神社。
詳しい創建時期は判っていませんが、「平家物語」や「源平盛衰記」が木曽義仲の挙兵(治承5年/1181)を「白鳥河原の勢揃」として伝えているので、平安時代には既に鎮座していたものと考えられます。
「白鳥河原」とは白鳥神社の前に広がる千曲川の川原のことで、この地は以仁王の令旨に応じた義仲挙兵の地としても知られているのです。
海野荘に勢力を張る海野氏からも、幸親・幸広父子が義仲軍に参陣して活躍しました。
建久2年(1191)には、海野幸広の子(もしくは弟)・幸氏が白鳥神社の社殿を遷しています。
幸氏は義仲の子・清水冠者義高に仕えて鎌倉入りし、その後は頼朝の家臣となって重用されました。
御神木のケヤキは推定樹齢700年以上ということなので、或いはそういった歴史を見守ってきたのかもしれません。

海野宿
寛永2年(1625)の成立と伝わる北国街道の宿場町です。
往時は約650mに渡って旅籠屋造の建物が軒を並べていました。今も「海野格子」と呼ばれる出格子を二階に持つ建物がよく残されています。

こんな立派な「うだつ」も。

平日とあって訪れる人もごく僅かで、とてもゆったりとした気分で散策を楽しめました。

海野宿本陣

こんな案内を目にしたら・・・行かない訳にはいかないでしょう(笑)

海野氏の菩提寺、興善寺。

永正3年(1506)の開創で、開基は海野幸明と伝えられています。
天文10年(1541)、信濃に侵攻した武田晴信(信玄)との戦いで海野幸義が戦死し、海野氏は滅亡しました。

境内に眠る海野幸明の墓所。

海野宿まで戻り、北国街道の往来を眺めながら美味しいお蕎麦をいただきました。
この後は、宿を押さえている上田市へ向かいます。

上田城下の芳泉寺
元和8年(1622)、真田家が松代へ移封された後に小諸から上田に入った仙石忠政は、真田昌幸が当地に置いていた常福寺を下之条へと移転させ、自らの菩提寺であった宝仙寺を小諸から移しました。
延宝2年(1674)、忠政の子・政俊の死後、寺名を芳泉寺と改めています。

真田信之正室・小松姫の墓所。
小松姫は元和6年(1620)、埼玉の鴻巣で没し、勝願寺で密葬されました。
芳泉寺の墓所は、信之が小松姫の一周忌に建立したものです。

小松姫の墓所の隣には、仙石家の霊廟も。
手前は仙石政俊の霊廟で、左奥には藩祖・秀久(政俊祖父)らの霊廟もあります。

仙石権兵衛秀久のお墓。
奇しくも5月には、秀久・小松姫両名の墓参に鴻巣の勝願寺を訪れたばかりでした。
何の因果か共に鴻巣で生涯を終え、親族によって上田でも供養され、、、歴史の偶然に不思議な力を感じた瞬間でした。

ホテルにチェックイン後は、上田駅前へ。
上田には何度か訪れていますが、駅前は初めてなので、こちらの銅像にも初めてお目に掛かりました。

ふらっと入ったお店で一献。
久しぶりに美味しい馬肉もいただけて満足・・・早めに切り上げて、翌日に備えました。
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