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2018年6月28日 (木)

小諸城と城下の町並み

今回は久しぶりの一人旅。
ドライブを楽しみたくて、愛車と共に信州へ出かけてきました。

休暇を取得し、平日の8:30頃にゆったりと出発。
圏央道→関越→上信越と高速道路を乗り継ぎ、まず最初に向かった先は・・・

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小諸城(懐古園)です。

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城跡北側にある駐車場に車を停めると、目の前に大きな空堀のような谷底が口を開けていました。
北谷と呼ばれる、おそらくは自然の地形ですが、これを空堀に見立てて縄張りされた様子が見て取れます。

三の門前の料金所から懐古園に入場し、曲輪が連なる西へ向かって進んでいきます。

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二の丸

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二の丸からの、北の丸・南の丸越しに本丸方向。
写真では分かりづらいかもしれませんが、本丸方向へ進むにつれ、地形が緩やかに下っています
本丸周辺の先端部分が最も低地となることから、小諸城は「穴城」とも呼ばれているそうです。

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南の丸の石垣にあった「鶯石」
城主が通行したり、何か祝い事があるとウグイスの声で鳴いたのだとか・・・。

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南の丸から木谷
こちらの谷も、なかなかの要害ぶりです。

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主郭手前の堀切に架かる黒門橋

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黒門橋上から見る堀切

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黒門橋を渡った先が黒門跡。

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黒門跡の先にそびえる本丸の石垣。

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本丸跡(懐古神社)

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懐古神社鳥居の脇には、「小諸領境界石標」が移設されていました。
文化3年(1806)のもので、西は軽井沢の追分の原、東は立科町の笠取峠にそれぞれ設置されていました。

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山本勘助愛用の鏡石・・・ホントに?(;^_^A
ちなみに勘助は、現在に遺構が残る小諸城のベースとなる縄張りを担当したとも伝えられています。

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天守台

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天守台石垣
天守自体は、寛永6年(1629)の落雷により焼失しています。

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西谷

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北谷
あちらの橋へ下りてみると・・・

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主郭部下の北谷は、岩盤質の絶壁がほぼ垂直に切り立っていました。
これは到底、攻め登ることはできそうにありません・・・。

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水の手展望台からの眺め。

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武器庫

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城内で唯一の井戸となる荒神井戸

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再び三の門まで戻ってきました。
次は大手門へ向かいます。

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三の門前にある徳川秀忠の「憩石」
慶長5年(1600)の第二次上田合戦で、徳川軍は小諸城を本陣としていますが、その在陣中、秀忠が腰を掛けていた石との伝承に由来しています。

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三の門から線路を越えた先にある大手門。
小諸駅一帯が、三の丸の跡地に該当するようです。

こちらの大手門は慶長17年(1612)、初代小諸藩主・仙石権兵衛秀久により創建されました。
明治以降は小諸義塾の仮教室や料亭として利用されてきましたが、平成20年になって往時の姿に復元されています。

引き続き、城下町を散策します。

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移築復元された小諸宿本陣の主屋。
明治11年(1878)に佐久市の桃源院に移築され、桃源院の本堂や庫裡として利用されてきましたが、平成7年に小諸市へ寄贈され、本陣跡地にも近い「せせらぎの丘」に復元されました。

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北国街道沿いに建つ、旧小諸宿本陣・問屋場(国重要文化財)
小諸宿は北国街道の宿場町の一つで、参勤交代や善光寺詣などの需要もあって栄えました。
先ほどの主屋も、本来はこちらに建っていたことになります。

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本陣跡から北国街道を少し東へ進んだ先、脇本陣跡。
一見したところ廃屋のようにも見えますが、なかなか風情のある建物です。

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本町交差点まで来たところで一旦北国街道を離れ、権兵衛坂へ。
同交差点から北北東へ伸びる、細い下り坂の路地です。
「権兵衛坂」の名は、小諸城主となった仙石権兵衛秀久が、健速神社参拝の折に通行していたことに由来するそうです。(諸説あり)

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権兵衛坂を下った先の常盤橋
何となく古そうな橋だなぁ~と思って調べてみると、昭和3年の竣工だそうです。

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仙石秀久も参拝した・・・健速神社
但し、当地に遷座されたのは延宝3年(1675)とのことなので、秀久が参拝していた時は別の場所にあったことになります。
御神木のケヤキは推定樹齢4~500年、毎年7月に行われる例祭、「祇園祭」が有名です。

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北国街道に戻りました。

小諸散策はこのあたりで切り上げ、(ほぼ)北国街道伝いに少し移動します。

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