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2018年10月12日 (金)

「戊辰戦争150年」展、他

白河からは国道289号を西北へ進み、「道の駅しもごう」での昼食休憩を挟みつつ、下郷からは国道121号を北上して芦ノ牧温泉駅へ向かいました。

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「ねこが働く駅」として有名な芦ノ牧温泉駅。

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残念ながららぶ駅長は出張中で会えませんでしたが、ぴーち施設長には会えました♪

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更に北上して会津若松市街に入り、福島県立博物館へ。
当館にて10月14日まで開催されている平成30年度秋の企画展戊辰戦争150を見学してきました。

入館できたのが16時頃だったこともあり、じっくり時間をかけてという訳にもいきませんでしたが、とにかく展示内容が充実していました。

・松平容保に賜った孝明天皇の御製や宸翰(共に複製)
・孝明天皇宸翰徳川家茂宛
・孝明天皇勅書
→元治元年6月、長州軍が京の都に迫る緊迫した情勢(後に元治甲子戦争へと発展)の中、「(前年の)八月十八日の政変は決して松平容保の私情によるものではなく、自らの叡慮に沿ったものである」といったことが記されている。

なども大変興味深かったのですが、何といっても私が一番魅かれた展示品は;

・土方歳三書状 内藤介右衛門・小原宇右衛門宛

に尽きます。

母成峠で旧幕府勢力が新政府軍に敗れた慶応4年(1868)8月21日の夜、土方歳三が会津藩重臣の内藤・小原両名へ宛てて、

明日の朝までには必ず新政府軍が(母成峠後方の)猪苗代まで攻め寄せてくるから、各方面に散っている部隊を残らず猪苗代へ集めて欲しい。
そうしないと明日中には、(猪苗代はおろか)会津若松城下までをも攻め込まれてしまうでしょう。

と書き送り、もはや一刻の猶予もならない緊急事態であることを急報した手紙です。
急なこととて実際に猪苗代へ兵が増員されることはなく、果たして歴史は、土方が訴えた通りの事態を迎えてしまうのでした。。。
(実際に新政府軍が会津城下に達するのは、翌々日の23日)

無論この史料の存在は知っていましたが、初めて実物を拝観することが叶い、感無量です。
さて、初日の宿は東山温泉に取りました。
私自身にとっては8月に続く再訪なので、今回は周辺の散策は省いて宿でのんびりしました。

翌2日目は喜多方へ移動して祖母に会い、昼過ぎまで買い物へ連れ出したり、昼食を共にしたりして過ごしました。

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お昼をいただいた「志ぐれ亭」

祖母を送り届けた後は磐越道で一気に移動し、いわき市の宿へ。

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宿の窓から、遠くに塩屋崎灯台を望む太平洋の夕景。
周囲には空地が多く、閑散としていました。きっと、あの日の津波によるものと思われます。

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宿での夕食。
これら以外にも多くの料理が供され、久しぶりに本気で食べ切れないほどの贅沢な食事に・・・(;^_^A

温泉もどういう訳か大浴場を独占することができ、大満足な滞在となりました。

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