« 大善寺の御開帳、栖雲寺、etc... | トップページ | 大谷石の地下採石場跡(大谷資料館) »

2018年10月25日 (木)

向嶽寺、小山城、etc...

今回の山梨旅、ラストの記事になります。

20181014b01
甲州市塩山の向嶽寺
臨済宗向嶽寺派の大本山で、開基は甲斐守護の武田信成。
寺名は「富嶽に向かう」を由来としています。

20181014b02
武田信玄も禁制を発給するなどして、向嶽寺の保護に努めています。
当初は「向嶽庵」としていましたが、信玄の朝廷への働きかけで開山の抜隊得勝禅師に「恵光大圓禅師」の諡号を賜り、これを機に向嶽寺と改められました。
伽藍の多くは度重なる火災で失われ、後に再建されたものになります。

20181014b03
同行者たちが何やら覗き込んでいますが・・・仏殿の天井には龍が描かれていました。

20181014b04
更には、甲斐国分寺跡や・・・

20181014b05
国分尼寺跡にも立ち寄りつつ・・・

20181014b06
ラストは山梨県笛吹市八代町高家の小山城跡へ。
東側の虎口から曲輪内へ入ります。

20181014b07
規模の大きな土塁が方形に曲輪を囲う、単郭式の遺構でした。
遠くに御坂城の城山も見えています。

甲斐小山城は武田氏時代の城で一旦は廃城となっていたものの、天正10年(1582)、御坂城に拠る北条勢と対峙する徳川家康(天正壬午の乱)が、鳥居元忠にこの城の修築を命じ、守備させていたと伝わります。
遺構の多くも、この時の徳川勢によるものでしょうか。

20181014b08
土塁の外側には空堀も。
残存状態は結構良さそうです。
さて、これにて1泊2日の山梨旅は終了です。
小山城跡で同行者たちとお別れして帰路へ。中央道の渋滞には難儀したものの、何とか無事に帰宅しました。

旅の趣旨に賛同し、同行していただいた仲間に感謝。
楽しく、多くの歴史に触れることができました。

|

« 大善寺の御開帳、栖雲寺、etc... | トップページ | 大谷石の地下採石場跡(大谷資料館) »

お城、史跡巡り 甲信越」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 大善寺の御開帳、栖雲寺、etc... | トップページ | 大谷石の地下採石場跡(大谷資料館) »