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2018年10月30日 (火)

飛山城

大谷資料館の後は20㎞ほど移動し、飛山城跡(宇都宮市竹下町)へ向かいました。

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飛山城跡図
便宜上、4つに大別される曲輪に14の数字をふりました。

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城跡北東隅から南の方角。
土塁や堀が綺麗に整備されています。

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飛山城は13世紀末、宇都宮氏の家臣・芳賀氏による築城と伝わります。
以来、小田原征伐(1590年)後に豊臣秀吉の命によって破却されるまでの300年間、芳賀氏の拠点として機能していました。

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それでは、城跡図●現在地にある木橋を渡り、東の大手虎口より入城します。
虎口の先に、視界を遮断するかのような土塁が見えています。橋の手前からは「蔀土塁かな?」と思いましたが、近づいてみると・・・

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小さいながらも、れっきとした馬出でした。
木橋を渡ってくる敵に対し、写真左奥に見えている4曲輪北東端の虎口を守っています。

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馬出の奥、4曲輪の虎口前にも二重目の横堀が走り、土橋が架けられています。

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東面二重目の横堀。
ちなみに一重目は最初に木橋で越えた堀です。

飛山城は鬼怒川の河岸段丘上に築かれており、北と西面は段丘の縁に接して急崖と川に守られていますが、南と東面にはこうして帯曲輪状の削平地を挟み、二重の堀を施して守りを固めていました。

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4曲輪虎口側から馬出方向。
写真では明る過ぎてとんでしまっていますが、正面やや左寄りの土塁の切れ目の先に、大手の木橋が架けられています。

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4曲輪(手前)と3曲輪(右奥)を隔てる堀と土塁。
まずはこの堀を越え、3曲輪から反時計回りに見ていくことにします。

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3曲輪から鬼怒川越しの眺め(北西方向)。
足元はすぐに落ち込んでおり、段丘の縁に築かれていたことが一目瞭然です。

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3曲輪と1曲輪間の堀・土塁。

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1曲輪は更に堀で細かく仕切られていたようで、地表面にその痕跡(窪み)が残されていました。
この堀(現地表記では「1号堀」)は発掘調査の結果、破城時に埋め戻されていたことが判明しています。

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同じく埋め戻された堀跡(同「3号堀」)

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1曲輪(左)と2曲輪(右)間の堀・土塁。
出枡状に折っている部分がありますが、そのすぐ先(写真奥)には虎口があって木橋が架けられています。
12曲輪を繋ぐ虎口の至近から横矢を掛け、厳重に警戒する意図を感じました。

現地案内板にも(上の図で1曲輪に相当する)「2号堀に囲まれた部分が、主郭(本丸部分)と考えられます」とありましたが、虎口に対する厳重な防御、そして出枡の向きからして、私も1曲輪が主郭だったのだろうと思います。

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2曲輪に復元された掘立柱建物。

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2曲輪と4曲輪間の堀。2つほど畝もありました。

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2曲輪から4曲輪への虎口は、堀が屈折するコーナーに設けられていました。
その土橋の足元には・・・

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可愛らしい畝の姿も。

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広大な4曲輪には復元された古代の住居や・・・

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竪穴建物なども展示されていました。

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4曲輪南東隅の横堀。
左奥は二重の堀に挟まれた帯曲輪で、その外側に最外郭の堀があります。

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その最外郭の堀(東面)

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最初に見た大手虎口へ横矢を掛ける、大手南側の櫓台。

飛山城・・・予想外に広い城域と、技巧的な遺構が見応えありました。
史跡公園としてよく整備され、登山もないので手軽にお城散策を楽しめますし、歴史体験館が併設されて駐車場も完備。
近くへお越しの際は、お薦めの立ち寄りスポットです。

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