良善寺
福島旅の最終日、宿を出発していわき駅近くに建つ良善寺へ。
良善寺山門
山門に残る戊辰戦争時の弾痕。
こちらは向かって右側の扉のもので・・・
左側の扉にも。
本堂
良善寺の東方500mほどの場所には、磐城平城がありました。
戊辰戦争の真っ只中にあった慶応4年(1868)当時、磐城平城には前平藩主で老中も務めた安藤信正(坂下門外の変で幕政からは失脚)がいました。
信正が佐幕派でもあったことから同城は、平潟に上陸して浜街道を仙台目指して進攻してゆく新政府軍の攻撃を受け、同年6月末~7月中旬にかけて都合3度の戦闘が繰り広げられています。
良善寺もこの間の戦闘に巻き込まれたようですが、銃弾が撃ち込まれた具体的な日時や経緯についてはハッキリしていないようです。
良善寺に眠る安藤信正の墓所。
その背後には・・・
戊辰戦争戦没者たちのお墓がズラリと並んでいました。
今回、いわきに泊ることが決まった段階で磐城平城跡については一応チェックしていたものの、良善寺はノーマークでした。
情報をくれたフォロワーさんに感謝です。
この後は海産物店でお土産を物色したりしつつ、下道で日立市まで南下してから常磐道→圏央道経由で帰宅しました。
※日立までの道中は海沿いの国道を走ったのですが、随所に新しい防潮堤が築かれていて、車窓から海の眺めを楽しめるポイントが少なかったように思います。
これもきっと、あの地震の影響なのでしょうね。
3日間の総走行距離は約780㎞。
渋滞知らずでいいドライブとなりました。
良善寺山門
山門に残る戊辰戦争時の弾痕。
こちらは向かって右側の扉のもので・・・
左側の扉にも。
本堂
良善寺の東方500mほどの場所には、磐城平城がありました。
戊辰戦争の真っ只中にあった慶応4年(1868)当時、磐城平城には前平藩主で老中も務めた安藤信正(坂下門外の変で幕政からは失脚)がいました。
信正が佐幕派でもあったことから同城は、平潟に上陸して浜街道を仙台目指して進攻してゆく新政府軍の攻撃を受け、同年6月末~7月中旬にかけて都合3度の戦闘が繰り広げられています。
良善寺もこの間の戦闘に巻き込まれたようですが、銃弾が撃ち込まれた具体的な日時や経緯についてはハッキリしていないようです。
良善寺に眠る安藤信正の墓所。
その背後には・・・
戊辰戦争戦没者たちのお墓がズラリと並んでいました。
今回、いわきに泊ることが決まった段階で磐城平城跡については一応チェックしていたものの、良善寺はノーマークでした。
情報をくれたフォロワーさんに感謝です。
この後は海産物店でお土産を物色したりしつつ、下道で日立市まで南下してから常磐道→圏央道経由で帰宅しました。
※日立までの道中は海沿いの国道を走ったのですが、随所に新しい防潮堤が築かれていて、車窓から海の眺めを楽しめるポイントが少なかったように思います。
これもきっと、あの地震の影響なのでしょうね。
3日間の総走行距離は約780㎞。
渋滞知らずでいいドライブとなりました。
| 固定リンク
「新選組・戊辰戦争」カテゴリの記事
- 土方歳三の遺髪(2024.04.01)
- 石田散薬 製造体験(2022.04.29)
- 扇町屋から飯能へ ~飯能戦争を辿る~(2022.01.06)
- 振武軍が宿営した箱根ヶ崎(2021.12.19)
- 近藤芳助が所持していた近藤・土方肖像写真(2021.11.23)
コメント