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2018年11月29日 (木)

一色山城、大留城、新居城

小牧山城の現説の後は、瀬戸市曽野町の一色山城跡へ。
「定光寺ほたるの里」入口から県道207号を北へ約400m、道路脇の斜面を登り、少し開けた尾根筋を南へしばらく進むと・・・

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切り立った切岸に行き当たります。
ここから先、尾根に沿って南へ城域が続くようです。

一色山城の築城時期は定かではありませんが、この城には興味深いエピソードが残されています。
天文3年(1534/織田信長の生年でもある)、一色山城主・磯村左近は感応寺(同市水北町)で住職と碁を打っていたところ、留守の城を品野(秋葉)城の松平家重、落合城の戸田家光らに攻められます。
ところが左近は、敵襲来の報を受けても泰然と碁を打ち続け、対局が終わってから戦場へ駆けつけて討死したとか。
「磯村左近」は織田信長にも仕えたとされますが、前述のように年代が合わないので、信長の家臣となったのは戦死した一色山城主の子息、ということになるのでしょうか。

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切岸上の曲輪跡。
こうした曲輪が3つほど縦に連なる城跡です。

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堀切
写真左端には土橋(少し崩れていました)があります。

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堀切の底から土橋。
他に虎口らしき窪みや櫓台のような土盛り、西側には腰曲輪もありましたが、兵を100人も入れたら満杯になりそうな程の、とても小さな城跡でした。


お次は春日井市大留の大留城跡。
天正12年(1584)の小牧長久手合戦の際、秀吉方の池田恒興が入って軍議を開いたとされています。
その翌日に恒興は戦死するのですが、大留城主・村瀬作左衛門も討死し、大留城は廃城になったと云います。

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現在は子安神明社になっており、境内には城址碑が建っていました。
本殿裏手に空堀の跡が残る、との情報があったので覗いてみたのですが・・・

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神明社周辺は急速に開発が進んでいるようで、付近の造成の影響ですっかり改変されていました。

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旅のラストは尾張旭市の新居城跡。
本丸や二の丸を二重の土塁が囲むお城だったようです。

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本丸を囲む一重目の土塁。
公園化されている割には、そこそこ良好な残存状況に思えました。

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一段下って二重目の土塁(右の小さな盛り上がり)と、左に先ほどの一重目の土塁。
従って、この2つの土塁に挟まれた園路部分は横堀、ということになるでしょうか。

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新居城跡には「旭城」という天守閣風の建物が建っていますが、本来のお城とは関係のない建造物です。

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今回の旅も、同行のフォロワーさんたちのお陰で満喫しました。
次は・・・どこへ出没しましょうか?

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