法隆寺、他
2日目の朝。
集合時間前に、前乗り組でちょっと早駆けしてきました。

まずは宿の近くにあった小泉城跡(大和郡山市小泉町)から。
南北朝期の小泉氏の居館跡で、江戸時代には小泉藩の片桐貞隆が陣屋を構えました。

現在は完全に宅地化されていますが、石碑前の段差に名残を感じました。

続いて中宮寺跡。
中宮寺は聖徳太子の母、穴穂部間人皇后の住居跡に建てられたと考えられている尼寺。
江戸時代になって法隆寺の東院に移されています。

復元された塔や金堂の礎石。

塔の心礎が埋まっている地点。

復元展示されている心礎。
高さは40㎝ほどで作られていますが、発掘でも深さは未確認のため、実際の高さは判っていないそうです。

そして法隆寺へ。
真っ直ぐに伸びる松並木の参道が素敵でした。

法隆寺を訪れるのは、実に30年ぶりのことです。

まずは西院の大講堂にお参り。

五重塔に金堂
金堂では、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像、太子の父・用明天皇の金銅薬師如来座像、母・穴穂部間人皇后の金銅阿弥陀如来座像の他、それらを守護する四天王像にも参拝させていただきました。
※こちらの四天王像は1300年以上の歴史を持つ日本最古のもので、邪鬼の背に静かに立っています。
通常、よく目にする四天王像は片足を邪鬼の頭に乗せるなどして、邪鬼を踏みつけるような姿で彫られていますが、法隆寺金堂の像のように静かに立っているのが、本来の姿なのだそうです。
しかし時代が下るにつれ、四天王は即ち守護神なので、邪鬼を踏みつけるようにして強さを表現するようになっていったと考えられているようです。

大宝蔵院では玉虫厨子も拝観。

最後に東院へ向かいます。

集合時間前に、前乗り組でちょっと早駆けしてきました。

まずは宿の近くにあった小泉城跡(大和郡山市小泉町)から。
南北朝期の小泉氏の居館跡で、江戸時代には小泉藩の片桐貞隆が陣屋を構えました。

現在は完全に宅地化されていますが、石碑前の段差に名残を感じました。

続いて中宮寺跡。
中宮寺は聖徳太子の母、穴穂部間人皇后の住居跡に建てられたと考えられている尼寺。
江戸時代になって法隆寺の東院に移されています。

復元された塔や金堂の礎石。

塔の心礎が埋まっている地点。

復元展示されている心礎。
高さは40㎝ほどで作られていますが、発掘でも深さは未確認のため、実際の高さは判っていないそうです。

そして法隆寺へ。
真っ直ぐに伸びる松並木の参道が素敵でした。

法隆寺を訪れるのは、実に30年ぶりのことです。

まずは西院の大講堂にお参り。

五重塔に金堂
金堂では、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像、太子の父・用明天皇の金銅薬師如来座像、母・穴穂部間人皇后の金銅阿弥陀如来座像の他、それらを守護する四天王像にも参拝させていただきました。
※こちらの四天王像は1300年以上の歴史を持つ日本最古のもので、邪鬼の背に静かに立っています。
通常、よく目にする四天王像は片足を邪鬼の頭に乗せるなどして、邪鬼を踏みつけるような姿で彫られていますが、法隆寺金堂の像のように静かに立っているのが、本来の姿なのだそうです。
しかし時代が下るにつれ、四天王は即ち守護神なので、邪鬼を踏みつけるようにして強さを表現するようになっていったと考えられているようです。

大宝蔵院では玉虫厨子も拝観。

最後に東院へ向かいます。

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もう読まれましたか、
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)
読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
投稿: omachi | 2018年12月13日 (木) 20時52分