宇陀松山城

城友会2018、2つ目のお城は宇陀松山城です。

城山南西麓の千軒舎に車を停め、パンフレットをいただいてから、建物の脇より登城道へ向かいます。
※続100名城スタンプも千軒舎にあります。

Aの横堀

雀門跡からの登城路に散見された残存石垣。

崩れやすそうな地質に見えたので、大部分は崩落してしまったのかもしれませんが、往時は総石垣づくりのお城だったのでしょうか。

雀門からの登城路。
直角の折れが続きます。

本丸から天守郭を望む。

本丸から南方の眺め。
ブルーシートは、台風などによる崩落箇所を覆ったものです。

本丸から二ノ丸方向。
そこかしこに崩落の痕が見られます・・・。

天守郭からBの張り出し。

天守台周囲に残る石垣。
多くの崩落箇所が物語るように、やはり崩れやすい地質によって石垣も、長い年月の中でその大半が失われてしまったのでしょう。

隅石

大門跡

大御殿郭からの天守郭

つづいて山麓の春日門跡。
現在は春日神社の参道になっていますが、参道は石垣の先ですぐに左へ折れ、枡形だったことが明瞭にわかります。この春日門は、宇陀松山城の大手にあたります。
また、春日神社の周辺には宇陀松山藩主・織田家の屋敷が建っていたようです。
宇陀松山城は秋山氏の居城として築かれました(当時は秋山城)。
その後、豊臣秀長の大和入部に伴って宇陀へ配された豊臣家臣らや、関ケ原合戦後に入城した福島高晴によって改修が続けられました(「松山」と改名したのも高晴とされる)。
しかし高晴は元和元年(1615)に改易となり、その後に入封した織田信雄は麓に陣屋を構えたものの城には入らず、宇陀松山城はその使命を終えました。

続いて城下町を散策。古い道標が建っていました。

町並みもいい感じですね。

城下町への大手門にあたる松山西口関門。
建設時から残る唯一の建造物で、ここから城下へ入って大手筋を進むと、先ほどの春日門に繋がっています。
さて、これにて城友会2018本戦の初日は終了です。
夜は宿近くの居酒屋で飲んだ後、メンバーは恒例のカラオケへ繰り出しましたが、私は疲れからか気力・体力が続かず、参加7年目にして初のパス・・・最終日に備えるため宿へ戻りました。
そう、twitterをご覧いただいていた方はご存知かもしれない、全く寛げない宿へ・・・。
建設時から残る唯一の建造物で、ここから城下へ入って大手筋を進むと、先ほどの春日門に繋がっています。
さて、これにて城友会2018本戦の初日は終了です。
夜は宿近くの居酒屋で飲んだ後、メンバーは恒例のカラオケへ繰り出しましたが、私は疲れからか気力・体力が続かず、参加7年目にして初のパス・・・最終日に備えるため宿へ戻りました。
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