信貴山城
城友会2018、ラストは生駒郡平群町の信貴山城です。

朝護孫子寺の参道を伝って城山へアタック。
途中で雄嶽と雌嶽の分岐点に出ます。雌嶽にも出城のような曲輪がありますが、まずは主城の雄嶽へ向かいました。

信貴山城本丸

信貴山城図

城内最高所に建つ空鉢堂。
十月十日の晩に、秋田城介信忠、佐久間、羽柴、惟任、惟住、諸口仰せつけられ、信貴の城へ攻め上られ、夜責めにさせらる。防戦、弓折れ矢尽き、松永、天主に火を懸け、焼死候。
(信長公記 巻十「信貴城攻め落さるゝの事」より)
織田信長に反旗を翻し、信貴山城に立て籠もった松永久秀。
天正5年(1577)10月10日、織田信忠率いる大軍の総攻撃を受け、信貴山城は落城しました。
久秀が火を放って命を絶ったと云う天主も、或いはこの空鉢堂の辺りに建っていたのかもしれませんね。

信貴山城本丸からの眺望。
手前に丸い頭が出ているのが、後で登る雌嶽の山頂です。

本丸から舗装された山道伝いに北の方角へ下っていくと、いくつかの小曲輪を経てAの曲輪に達します。
A曲輪の更に北へ続くのが・・・

松永屋敷の曲輪群です。

松永屋敷から見上げるAの切岸。

松永屋敷は最近整備されたようで、整備の度合いもやり過ぎず適度な感じで、とても気持ちよく見学できました。

段違いに4~5の削平地から成り、土塁なども見受けられました。

松永屋敷北端から南を振り返る。
土橋状の虎口が明瞭に残っていました。

松永屋敷西の谷を越え、Bの竪堀。

Cの辺りにあった堀切と土橋。

Dの食違虎口を抜け、最北端の曲輪を目指します。

Eの虎口・・・枡形になっていたように思います。
この虎口を出た東側の斜面に・・・

ご覧のような石垣が残っていました。

一旦本丸まで登り直し、最後に雌嶽曲輪へ。

雌嶽曲輪
細長い削平地が広がっています。

雌嶽曲輪先端は一段低くなり、虎口のような痕跡も見られました。

虎口の先、尾根を下った地点に堀切のようなものも見えていましたが、もはや下って確かめる気力も残っていなかったので・・・引き返しました。←

信貴山城遠景
これにて城友会2018も終了です。
今回めぐった奈良のお城はどれも素晴らしく、スケールの大きさに驚きの連続でした。
来年は・・・どこになったのかな?そういえば、まだちゃんと聞いていなかったな・・・想像はついているけど。
(翌年の行先は夜のカラオケで決定するのが恒例←今年パスした)
来年もまた、みんなで集まれますように。

朝護孫子寺の参道を伝って城山へアタック。
途中で雄嶽と雌嶽の分岐点に出ます。雌嶽にも出城のような曲輪がありますが、まずは主城の雄嶽へ向かいました。

信貴山城本丸

信貴山城図

城内最高所に建つ空鉢堂。
十月十日の晩に、秋田城介信忠、佐久間、羽柴、惟任、惟住、諸口仰せつけられ、信貴の城へ攻め上られ、夜責めにさせらる。防戦、弓折れ矢尽き、松永、天主に火を懸け、焼死候。
(信長公記 巻十「信貴城攻め落さるゝの事」より)
織田信長に反旗を翻し、信貴山城に立て籠もった松永久秀。
天正5年(1577)10月10日、織田信忠率いる大軍の総攻撃を受け、信貴山城は落城しました。
久秀が火を放って命を絶ったと云う天主も、或いはこの空鉢堂の辺りに建っていたのかもしれませんね。

信貴山城本丸からの眺望。
手前に丸い頭が出ているのが、後で登る雌嶽の山頂です。

本丸から舗装された山道伝いに北の方角へ下っていくと、いくつかの小曲輪を経てAの曲輪に達します。
A曲輪の更に北へ続くのが・・・

松永屋敷の曲輪群です。

松永屋敷から見上げるAの切岸。

松永屋敷は最近整備されたようで、整備の度合いもやり過ぎず適度な感じで、とても気持ちよく見学できました。

段違いに4~5の削平地から成り、土塁なども見受けられました。

松永屋敷北端から南を振り返る。
土橋状の虎口が明瞭に残っていました。

松永屋敷西の谷を越え、Bの竪堀。

Cの辺りにあった堀切と土橋。

Dの食違虎口を抜け、最北端の曲輪を目指します。

Eの虎口・・・枡形になっていたように思います。
この虎口を出た東側の斜面に・・・

ご覧のような石垣が残っていました。

一旦本丸まで登り直し、最後に雌嶽曲輪へ。

雌嶽曲輪
細長い削平地が広がっています。

雌嶽曲輪先端は一段低くなり、虎口のような痕跡も見られました。

虎口の先、尾根を下った地点に堀切のようなものも見えていましたが、もはや下って確かめる気力も残っていなかったので・・・引き返しました。←

信貴山城遠景
これにて城友会2018も終了です。
今回めぐった奈良のお城はどれも素晴らしく、スケールの大きさに驚きの連続でした。
来年は・・・どこになったのかな?そういえば、まだちゃんと聞いていなかったな・・・想像はついているけど。
(翌年の行先は夜のカラオケで決定するのが恒例←今年パスした)
来年もまた、みんなで集まれますように。
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