多聞山城

城友会2018、前哨戦の2城目は多聞山城です。
現在、城跡には若草中学校が建っています。「職員の方がいれば多聞山城の冊子を購入できる」という情報をいただいたのでインターフォンを鳴らしてみましたが、残念ながら応答はありませんでした。
三月廿七日、信長、奈良の多門に至りて御出で。(略)
三月廿八日、辰の刻、御蔵開き候ひ訖んぬ。彼の名香、長さ六尺の長持に納まりこれあり。則ち、多門へ持参され、御成りの間、舞台において御目に懸け、本法に任せ、一寸八分切り捕らる。
(信長公記 巻七「蘭奢待切り捕らるゝの事」より)
天正2年(1574)3月、前年末に松永久秀・久通父子から多聞山城を接収した織田信長は、上洛して朝廷へ蘭奢待の切り取りを奏聞し、勅許を得るとすぐに多聞山城へ向かいました。
そして、東大寺の正倉院から長持に入った蘭奢待を運ばせ、この多聞山城で一寸八分(5㎝強)切り取っています。
写真の階段の上が主郭にあたりますので、まさに織田信長による蘭奢待切り取りの舞台、ということになります。

多聞山城跡から見る東大寺の大仏殿。正倉院は写真で、大仏殿の少し左方向にあります。
天正2年3月28日、長持に収められた蘭奢待が往復した距離。
(写真提供:こばたかさん)
残念ながら城内(校内)を見学することは叶いませんが、周辺からも城の痕跡を探れそうなので少し散策してみます。

主郭(左)と、その東の曲輪(グランド)の間を断ち切る東堀切。

主郭北側の切岸
よ~く目を凝らして見てみると・・・

土塁らしきものが見えている気もするのですが・・・如何せん近づくことができないので確証はありません。

こちらは、主郭の一部として取り込まれていたであろう仁正皇太后の佐保山東陵(左)と、やはり城に利用されていたと思われる聖武天皇の佐保山南陵(右)の間の西堀切。
無論、敷地内に立ち入ることはできませんが、何とか目視できるポイントまで辿り着くことができました。

眉間寺遺跡から見る佐保山南陵の西面。
何かしらの痕跡がありそうでしたが、城に関係するものかどうかは定かではありません。

佐保山陵の参道
正面が聖武天皇の南陵になります。
実際に城を見学した宣教師ルイス・デ・アルメイダに;
世界中どこにもこの城の如く、善且つ美なるものはないと考える。
と讃えられた多聞山城。
僅かばかりでも、その痕跡に触れることができて良かったと思います。

初日のラストは興福寺にも立ち寄り。

今年(平成30年)落慶したばかりの中金堂。
この後は宿にチェックインしてから、最寄り駅近くで乾杯☆彡
・・・宿にもいろいろとネタがあるのですが・・・もう忘れることにします(笑)
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