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2018年12月 7日 (金)

高麗山城と周辺の歴史散策

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今回は神奈川県大磯町高麗の高麗山城へアタック。
ルートはいくつかあるようですが、私は麓の高来神社(江戸時代までは神仏習合の高麗寺)社殿裏手からの山道(昔の参道)を登りました。

高麗寺は徳川家康から寺領を賜り、東照権現を併せ祀っていたことから、参勤交代で東海道を往来する諸大名は、高麗寺の前では駕籠を降りて通行するのが慣例となっていたそうです。
明治の神仏分離令で高麗神社となり、更に社名を高来(たかく)神社と改められて現在に至ります。

また、「高麗」の地名は若光をはじめとする高句麗からの渡来人たちが大磯に上陸し、しばらく化粧坂辺りに住んでいたことに由来するとされています。
その後、彼ら高句麗からの渡来人は、武蔵国高麗郡に集められることになりました(参照記事)。

永正7年(1510)に伊勢宗瑞(北条早雲)が扇谷上杉氏との対立の中で高麗山に城を築き、永禄4年(1561)には上杉謙信も、小田原城攻めにあたって高麗山に本陣を据えたと伝えられています。

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高来神社からの山道(男坂を選択しました)を必死に登り詰めた八合目付近にあった平場。背後(山頂側)は切岸になっており、なんとなく曲輪跡に思えました。
ここまでの道中は急勾配の連続で、崖のような岩場あり、すれ違いもできないような急斜面沿いの細道もあり、で結構ハードな登山でした。。。

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こちらの古い石段を上がった先が・・・

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高麗山の山頂で、高麗山城の主郭(標高167m強)。
「大堂」と呼ばれる場所で、かつては高麗権現を祀るお堂が建っていたようです。

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主郭から北東寄りの鞍部へ下り、その先のピーク(写真)を登ると・・・

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やはり曲輪跡を思わせる平場が広がり、土橋を残して両サイドを切り落とした堀切のようなものが、中央部を横切っていました。

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こちらは主郭の西下にあった堀切。
この堀切の先は細尾根になっており、それに沿って進むと・・・

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すぐに堀切と土橋を連想させる地形がありました。
そのまま更に西へ進みます。

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またまた堀切が出てきました。
こちらは規模といい形状の明瞭さといい、歴とした堀切です。

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堀底から。

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堀切の先の平場(八俵山)。
この先は自然の地形が落ち込んでいます。この辺りが城の西端だったのでしょうか。

高麗山城探索はこれで終了ですが、麓の大磯町生涯学習館で貰った散策マップで、南西麓の妙大寺に松本良順(明治以降「順」に改名)の墓所があることを知ったので、このまま尾根伝いに湘南平方面へ向かいます。

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高麗山の西方、浅間山の山頂。

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湘南平
遠くに江の島も見えています。

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小田原方面の眺望。
上杉謙信もこうして、大軍で包囲する小田原を眺めたのでしょうか。

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下山ルートは妙大寺を目指して坂田山コースを選択。
JR大磯駅の少し西側へ下るイメージです。

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多少のアップダウンはあるものの、なかなか快適な山歩きになりました。

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住宅が建ち並ぶ地点まで下ってきました。
天気が良ければ、湘南の海もさぞ綺麗だったでしょうね。

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松本良順が眠る妙大寺。

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幕末、幕府御典医として活躍した松本良順。
明治に入ってからも陸軍軍医総監に就きましたが、公職を辞した後は大磯に移り、照ヶ崎海岸に日本初となる海水浴場を誕生させています。
個人的には、新選組との繋がりで強く印象に残っている人物。期せずしてお参りすることができて良かったです。

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旧東海道、化粧坂の松並木。
登山口よりだいぶ南西寄りに下山しましたので、最後は山麓を旧東海道で北東方向へ引き返しました。

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広重の「東海道五十三次」に描かれた大磯。
右に見える山は高麗山。海が左手になっているので向きこそ違え、先ほどの写真とほぼ同じ場所を描いたものになります。

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化粧坂の一里塚(跡)

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虎女(虎御前)化粧井戸
虎御前は大磯の遊女で、「曽我兄弟の仇討ち」で有名な曽我兄弟の兄・曾我祐成の妾だったとされる人物。
彼女がこの井戸の水で朝な夕な化粧をしていたとの伝承から、この名で呼ばれているようです。

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車を置かせていただいた大磯町生涯学習館に到着。
こちらには高麗山の簡単な散策マップも置かれています。山中にも案内板は設置されていますが、予め一部持っておくと心強いです。

予定よりも長い行程となって時間を要しましたが、それだけに充実した散策になりました。

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