龍王山城(北城)

旅の最終日は天理市田町の龍王山城へ。
林道の途中で通行止めになっていたので、そこから結構な距離を歩いて到達しました。

龍王山城は大和の豪族・十市氏の居城でした。
天文年間、十市氏は遠忠の代に勢力を伸ばして龍王山城も拡張されたようですが、子の遠勝の代になり、松永久秀が大和で勢力を伸ばすと徐々に衰退し、やがて前日に訪れた宇陀松山城の秋山氏から攻撃を受け、城を放棄して逃れていきました。
その後も紆余曲折を経て、龍王山城は最終的に松永久通の手に渡りますが、松永氏が織田信長に反旗を翻して滅びると、天正6年に信長の命によって廃城となりました。
龍王山城は北城と南城の2つから成りますが、今回は時間の都合で北城のみを見ていきます。

馬池・・・馬の肢でも洗っていたのでしょうか。

馬池から時ノ丸方向へ向かう途中、西側の斜面にあった竪堀群。
群と言っても藪がひどく、ちゃんと確認できたのはこちらの2本のみでした。

このすぐ上の曲輪が時ノ丸で、その先の切岸の上は北城の本丸になります。

Aの曲輪
高い土塁には平虎口が付けられていました。

A曲輪の土塁には一部、石積みも。

A曲輪北東下の竪堀。
この竪堀を下って大手方面へ向かいます。

西の大手の丸
数段の平場が階段状に連なっていました。

五人衆郭
写真奥、一段上がった先には大きな平場が広がっています。

図で「馬ひやし場」と書かれている地点。
左は五人衆郭の切岸です。

馬ひやし場の北に広がる郭には土塁も残っていました。
この後、五人衆郭の北にある竪堀群を見に行きましたが、良い写真が撮れていなかったので割愛・・・。
他にも見ておきたいポイントはありましたが、縄張り迷子になってしまったので本丸へ直行。

北城本丸

北城本丸から西の眺望。

北城本丸と辰巳の櫓間の堀切。

こちらはB曲輪と太鼓ノ丸間の堀切。

南虎口の丸堀。
丸堀を挟んで2つの食違虎口が設けられています。
写真は城内側から見ていますが、対岸の城外から城へ攻めてきた寄せ手は、丸堀の外周を反時計回りに手前の虎口まで回り込まされる構造になっていました。
こうすることにより、寄せ手の弓は城内(高所)から狙う城兵に対して常に逆手となり、逆に城兵にとっては有利な得手となる工夫なのだそうです。
龍王山城、北城のみを駆け足で見てまわりましたが、とても規模が大きく、見どころの多い山城でした。
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