旧東海道歩き…六合~藤枝
旅のラストは六合駅から旧東海道を東へ、藤枝までの一駅間を歩いてみました。

六合駅から県道381号を東へ進むと、すぐに島田市から藤枝市へ入ります。
この先の「一里山」交差点で、旧街道は右へ逸れていきます。

目印は、道路脇に残る旧東海道の松並木。

こうして松並木が残っていてくれると、旧街道を歩いている実感が湧いていいですね。

逆光で酷い写真になっちゃったけど・・・上青島一里塚跡。

この先は道幅が狭くなり、車の通りも多いので注意が必要です。

染飯茶屋址の碑
瀬戸川こさせられ、せ戸の染飯とて、皆道に人の知る所あり。
(信長公記 巻十五「信長公甲州より御帰陣の事」より)
この前日に歩いた金谷から掛川までの旧東海道の記事でも触れましたが、織田信長は甲府からの帰路、天正10年(1582)4月15日、未明に藤枝市の田中を出発してこの付近も通過しているのです。

瀬戸の染飯はこの上青島村瀬戸町(現藤枝市上青島付近)にあった茶屋で、戦国期から売られてきた東海道の名物の一つです。
包装紙の版木は、茶屋の御当主の一子相伝なのだそうです。

また、この地には千貫堤と呼ばれる大きな堤防が築かれていました。
千貫堤は寛永12年(1635)、大井川の洪水から田中藩領を守るため、千貫もの大金を投じて築かれました。高さ3.6m、幅29m、総延長は約360mもありましたが、現在はそのごく一部を残すのみとなっています。

近くの千貫堤・瀬戸染飯伝承館では、染飯の染料となるクチナシの実を乾燥させていました。
染飯の版木のレプリカなども展示されています。

伝承館の北側に、僅かに残る千貫堤の痕跡。
染飯茶屋の御子孫は、現在もこの地にお住まいなのだそうです。

再び旧東海道へ戻ります。

東海道追分の碑
中世の頃までこの付近には湿地が多く、東から西へ進む古道は藤枝の先から大きく南へ迂回して、この石碑の建つ辺りへ繋がっていました。
近世東海道が通った後も古道は残り、いつしか2つの道の交錯点を追分と呼ぶようになったそうです。

また、更に西へ進む中世までの古東海道は「瀬戸の山越え」と呼ばれ、瀬戸山(昭和30年代、東京オリンピックに向けた高速道路建設等の開発のために消滅)の上を通っていました。
道の歴史も辿っていくと、いろいろと奥が深いですね。

今回はほぼ舗装路の上を歩くだけの旅となりましたが、様々な歴史に触れることができて楽しめました。
こうして少しずつ東海道をめぐり、いずれは京都までを1本に繋げてみたい、などと野望を抱いたりして・・・!?

六合駅から県道381号を東へ進むと、すぐに島田市から藤枝市へ入ります。
この先の「一里山」交差点で、旧街道は右へ逸れていきます。

目印は、道路脇に残る旧東海道の松並木。

こうして松並木が残っていてくれると、旧街道を歩いている実感が湧いていいですね。

逆光で酷い写真になっちゃったけど・・・上青島一里塚跡。

この先は道幅が狭くなり、車の通りも多いので注意が必要です。

染飯茶屋址の碑
瀬戸川こさせられ、せ戸の染飯とて、皆道に人の知る所あり。
(信長公記 巻十五「信長公甲州より御帰陣の事」より)
この前日に歩いた金谷から掛川までの旧東海道の記事でも触れましたが、織田信長は甲府からの帰路、天正10年(1582)4月15日、未明に藤枝市の田中を出発してこの付近も通過しているのです。

瀬戸の染飯はこの上青島村瀬戸町(現藤枝市上青島付近)にあった茶屋で、戦国期から売られてきた東海道の名物の一つです。
包装紙の版木は、茶屋の御当主の一子相伝なのだそうです。

また、この地には千貫堤と呼ばれる大きな堤防が築かれていました。
千貫堤は寛永12年(1635)、大井川の洪水から田中藩領を守るため、千貫もの大金を投じて築かれました。高さ3.6m、幅29m、総延長は約360mもありましたが、現在はそのごく一部を残すのみとなっています。

近くの千貫堤・瀬戸染飯伝承館では、染飯の染料となるクチナシの実を乾燥させていました。
染飯の版木のレプリカなども展示されています。

伝承館の北側に、僅かに残る千貫堤の痕跡。
染飯茶屋の御子孫は、現在もこの地にお住まいなのだそうです。

再び旧東海道へ戻ります。

東海道追分の碑
中世の頃までこの付近には湿地が多く、東から西へ進む古道は藤枝の先から大きく南へ迂回して、この石碑の建つ辺りへ繋がっていました。
近世東海道が通った後も古道は残り、いつしか2つの道の交錯点を追分と呼ぶようになったそうです。

また、更に西へ進む中世までの古東海道は「瀬戸の山越え」と呼ばれ、瀬戸山(昭和30年代、東京オリンピックに向けた高速道路建設等の開発のために消滅)の上を通っていました。
道の歴史も辿っていくと、いろいろと奥が深いですね。

今回はほぼ舗装路の上を歩くだけの旅となりましたが、様々な歴史に触れることができて楽しめました。
こうして少しずつ東海道をめぐり、いずれは京都までを1本に繋げてみたい、などと野望を抱いたりして・・・!?
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