掛川古城
掛川で迎える旅の2日目。
まずはホテルを出てぶらぶらと散策し、近世掛川城の脇を抜けて掛川古城へ向かいました。

掛川古城の主郭には龍華院大猷院霊屋が建っています。
明暦2年(1656)、掛川藩主・北条氏重が幕府に願い出て、徳川家光を祀るために建立しました。
一説には、嗣子のない氏重による無嗣断絶を回避するための打開策だったともされますが、万治元年(1657)に氏重が没すると領地は没収され、断絶となってしまいます。

主郭東面に残る土塁。
掛川古城は西暦1500年前後、今川氏親の命を受けた朝比奈泰熈により、遠江支配の拠点として築かれました。
1513年には早くも、現在の掛川城跡の位置に新たに築城して移っていますが、1568年に武田軍に駿府を追われた今川氏真がその掛川城へ逃げ込むと、今度は徳川家康が掛川城を包囲します。
その際、家康はこの掛川古城跡に本陣を置いたとも云われています。

土塁の先に見えている堀切。

掛川古城の大堀切。

掛川古城と、近世掛川城との距離感。
さて、この後は電車で少々移動します。
まずはホテルを出てぶらぶらと散策し、近世掛川城の脇を抜けて掛川古城へ向かいました。

掛川古城の主郭には龍華院大猷院霊屋が建っています。
明暦2年(1656)、掛川藩主・北条氏重が幕府に願い出て、徳川家光を祀るために建立しました。
一説には、嗣子のない氏重による無嗣断絶を回避するための打開策だったともされますが、万治元年(1657)に氏重が没すると領地は没収され、断絶となってしまいます。

主郭東面に残る土塁。
掛川古城は西暦1500年前後、今川氏親の命を受けた朝比奈泰熈により、遠江支配の拠点として築かれました。
1513年には早くも、現在の掛川城跡の位置に新たに築城して移っていますが、1568年に武田軍に駿府を追われた今川氏真がその掛川城へ逃げ込むと、今度は徳川家康が掛川城を包囲します。
その際、家康はこの掛川古城跡に本陣を置いたとも云われています。

土塁の先に見えている堀切。

掛川古城の大堀切。

掛川古城と、近世掛川城との距離感。
さて、この後は電車で少々移動します。
| 固定リンク
「お城、史跡巡り 東海」カテゴリの記事
- 旧東海道 袋井宿~掛川宿(2020.12.11)
- 池田近道(姫街道)(2020.12.10)
- 当目の虚空蔵菩薩(2020.11.11)
- 花沢城、花沢の里(2020.11.10)
- 蒲原城(2020.01.28)
コメント