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2019年3月 3日 (日)

小幡城

2019年2月23日は、遠方から城仲間を迎えての茨城の城攻め。
プレゼンターはこばたかさんなので・・・息吐く間も許されぬ、慌ただしくもサディスティックな城攻めとなることは必至です(^_^;)

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という訳で、まず最初のお城は小幡城から。
遺構の素晴らしさから、城好き界隈では有名過ぎるくらいの城跡ですが、実は私、関東に住んでいながら、これが初めての訪城。
微妙に遠いし、なんとなくタイミングを逃し続けているうちに今日に至りました。

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小幡城跡図
まずは北東側から、六の郭と五の郭の間を抜ける堀底を進みます。

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・・・いきなりの藪。
この時、こばたかさんの口から発せられた「大丈夫!小幡で藪はここだけだから」という台詞を、この後も幾度となく耳にすることになろうとは、この時は知る由もない・・・。

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堀底を進んだ突き当りは、五の郭西側の土橋。
ここから一旦、五の郭へ入ります。

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五の郭の土塁や櫓台跡。

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五の郭から北西側へ伸びる土塁上に見受けられた枡形状の遺構。
堀底道からの虎口でしょうか?

図に「変形武者走り」と書かれている土塁上の凹みも確認しましたが、藪のせいで写真では殆ど伝わらないので省略。

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五の郭(右奥)と本丸(左)間の堀。
これぞ小幡城!という光景ですね。さすがのスケールです。

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五の郭の南端から四の郭へと伸びる土塁上より。
写真奥で左へ折れた先が、本丸への虎口になっているようです。

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五の郭と四の郭間の土塁南側。
西側を除く三方を湿地に囲まれていた小幡城。その為、こちらは船着き場だったのではないかと考えられているようです。

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本丸虎口前の土橋から東側を見た様子。
堀の先の土塁に、一ヶ所だけ不自然な切れ目があります。
本丸への土橋がやけに幅広だったこともあり、もしかしたら少し東側の土塁の切れ目が本来の虎口だったのかも、と話していましたが、現地案内板にも「(土橋よりも)もっと東よりの所から跳ね橋などでつながっていたのであろう」とありました。

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本丸は周囲を囲む土塁が立派で見応えがありました。

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本丸井戸跡

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本丸内から、土橋越しに四の郭方向。

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四の郭の南東端、城の鎮護のために祀られていたと云う稲荷社。

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稲荷への参道なのか、細い枡形のような痕跡もありました。

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広大な二の郭。

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二の郭から、スタート地点の堀を見る。
土塁の間から案内板が僅かに見えていますが、堀が二重になっている様子がよくわかります。

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そのまま堀底へ下りて、迷路のような堀底道を堪能。

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最後は六の郭外側の堀底を進み、スタート地点まで戻って小幡城めぐりは終了。
・・・〆もやっぱり藪(笑)

この後は水戸城へ向かいました。

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