上杉堂(高幡不動尊)
先週のひの新選組まつりに引き続き、2週続けての高幡不動尊。
その境内の片隅に建つ、上杉堂と呼ばれる小さなお堂。
こちらは室町中期の武将、上杉憲秋(憲顕)の墓所とされています。
※現地案内板では「憲顕」としていましたが、一般的に「憲秋」と表記されることが多く、「憲顕」は山内上杉家の始祖で初代関東管領に就いた人物とも重複するため、当記事でも「憲秋」と表記します。
憲秋は室町期、関東管領を務めた上杉氏の一族で犬懸上杉家の出身。父はあの上杉禅秀・・・鎌倉公方・足利持氏と争った上杉禅秀の乱(1416~1417年)で有名な人物ですね。
享徳3年12月(1455年1月)、時の鎌倉公方・足利成氏による関東管領・上杉憲忠謀殺を発端として、享徳の乱が討伐が勃発します。
憲秋にとって成氏は、父・禅秀の仇ともいえる足利持氏の子。憲秋も関東管領方の一手として成氏討伐に立ち上がり、翌享徳4年1月(1455年1月)の分倍河原の戦いに於いては先鋒を務めますが、立河原(東京都立川市)付近で成氏軍の奇襲を受けて重傷を負いました。
家臣の手で何とか戦場は逃れたものの、この地(高幡寺)で自害して果てたと伝えられています。
祀られている自然石は、その墓標とされているようです。
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