« 千福城(平山城) | トップページ | 第22回 ひの新選組まつり(没後150 歳三×日野) »

2019年5月 7日 (火)

山田城、他

2019050301
大型10連休となったGWも後半。
天候にも恵まれた5月3日は、家族を連れて埼玉県比企郡滑川町の国営武蔵丘陵森林公園へ。

南口から入場してすぐ右手の坂を上り、まずはガイドマップにも載っている山田城へ。

2019050302
舗装された園路に沿って進み、山田城跡への案内板に従って雑木林へ入っていくとすぐに到達します。
写真は南西部の土塁と横堀。

2019050303
・・・山田城に関しては何ら知識を持ち合わせていないので、現地の説明板をそのまま貼っておきます。←

2019050304
南西部の土塁と横堀を上から。
少し折れて横矢が掛かっているように見え・・・なくもない?

2019050305
西側の土塁から横堀。

2019050306
郭内には更に、土塁や横堀で仕切りをつけたような箇所もありました。

2019050307
・・・土橋のようにも見える。

2019050308
北東側の土塁。
写真でもわかるように郭内の削平は甘く、どことなく急造の砦、陣城といった印象も受けました。

2019050309
北東側の虎口らしき痕跡。

2019050310
虎口を出た先から見る、北~西へかけての横堀。

2019050311
奥に虎口と、東~南にかけての横堀。
一部、堀が二重になっていたようにも見えます。

山田城・・・遺構の保存状態が良く、小規模ながら割と見応えはありました。

2019050312
そのまま園内を北へ向かって散策していると、古鎌倉街道の案内板が・・・。
とすると、山田城は古鎌倉街道を意識して築かれた城だったのかもしれません。

2019050313
古鎌倉街道
歩いているうちに右側の藪(の中)が気になり、分け入ってみると・・・

2019050314
堀のようなものが、街道に沿ってずっと続いていました。

2019050315
藪が切れて梅園として整備されている区間に出ても、堀は続いています。

2019050316
街道に沿っていることから、初めは「古鎌倉街道の掘割道か?」とも思いましたが、やがて堀は街道から逸れ、丘陵の下(右手)の方へと折れていきました。

後で調べたところ、こちらの遺構は山崎城という城だったともされているようですが、堀は丘陵の縁に沿っており、谷戸のような下った場所を囲むようにして折れています・・・正直なところ、個人的にはあまり「城」をイメージできません。
むしろ、丘陵を守備する防塁・長塁のようなものだったのではないかな、とも思いました。

※山田城から見た時、丘陵縁の堀を越えた先には、荒川を挟んで忍城があります。
案内板によると山田城は小田原征伐の際、前田利家によって落とされたとも伝えられているようですが、豊臣方の軍勢によって構築(改築?)された、忍城包囲の陣跡の一つ、という可能性は考えられないのでしょうか。

2019050317
古鎌倉街道は丘陵上を、更に北へと伸びていきます。

この後は園内を中央口付近まで散策し、お弁当を食べて引き返しました。
それでも優に3時間は滞在していたので、森林公園の広大な敷地面積・・・推して知るべし。

|

« 千福城(平山城) | トップページ | 第22回 ひの新選組まつり(没後150 歳三×日野) »

お城、史跡巡り 関東」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 千福城(平山城) | トップページ | 第22回 ひの新選組まつり(没後150 歳三×日野) »