戸倉城
さて、本来であれば深沢城の後は葛山城、千福城へ向かう予定でしたが、朝からの雨がいよいよ本降りとなって山城は断念することに。
急遽予定を変更して向かった先は・・・
駿東郡清水町の戸倉城です。
※歴とした山城じゃねーか!というツッコミを入れたあなた・・・仰る通り。
しかし戸倉城は山城とはいえ、今では完全に公園化(本城山公園)されており、安全面においても特に問題ないだろうと判断したのです。
戸倉城は小田原北条氏の2代・氏綱が築かせたと伝わります。
後に、上杉謙信の後継を巡る「御館の乱」に端を発する外交関係の悪化から、武田勝頼が天正7年(1579)に駿豆国境の沼津に築いた三枚橋城に対する、北条方の最前線拠点ともなりました(駿河は武田領、伊豆は北条領。当時は黄瀬川が国境線となっていました)。
ところが、天正9年には戸倉城将の笠原新六郎政晴が武田方へ寝返り、戸倉城も武田の支配下となります。
翌天正10年に武田氏が滅亡すると再び北条氏の手に戻りますが、天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原征伐が始まると、北条氏は城兵を韮山城へ引き上げて戸倉城を放棄しました。
戸倉城の主郭(本城)跡。
一部、竪堀などの遺構も残っているらしいのですが、悪天候により詳細な探索は断念いたしました。
しかし、展望台からの眺望は見事の一言に尽きます。
三枚橋城方面は、手前の山に遮られて見えないものの・・・
韮山城や・・・
山中城までをも、一望の元に見渡せました。
戸倉城はこれらの各拠点を繋ぐ、中継基地としても機能していたのかもしれません。
山麓の龍泉寺は、戸倉城主の居館跡と伝わります。
龍泉寺本堂
この後は富士宮市の西山本門寺へ向かいました。
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