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2019年6月 3日 (月)

足利政氏館跡(甘棠院)

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埼玉県久喜市本町、甘棠院総門。
甘棠院はコチラの記事でも少し触れた足利成氏の子で、古河公方第二代・足利政氏の館跡と伝えられています。

政氏は、古河公方の座や山内上杉氏の後継を巡って嫡子・高基と対立し、次男・義明にも反旗を翻されて次第に追い詰められていきます。
古河城を失った政氏は小山氏の庇護下に入り、後に出家して久喜の館に隠棲することで高基と和睦しました。
永正16年(1519)、出家した政氏は自らの館を寺とし、この甘棠院を開きます。

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総門には、足利氏の二つ引両紋も。

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中門
この両脇に堀跡が残っています。

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中門東側の堀跡。

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こちらは西側。
西側の堀は写真の先で右へ折れ・・・

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墓地脇の館跡西面へと続いています。

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甘棠院北側の甘棠院史跡公園。
芝生で堀跡の形状を示している、とのことでしたが・・・いまいちイメージが掴めませんでした。
写真右手の樹林も館の跡地になるのですが、現在では白鷺の巣窟になっているそうで、夥しい数の白鷺がけたたましく鳴き、そこら中に糞や羽が散乱していました・・・。

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甘棠院東側の路地。
この細い屈折した形状も、なんとなく堀跡を思わせます。

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甘棠院本堂
政氏の墓所もありますが、お寺の方とコンタクトを取れなかったので拝観は諦めました。
政氏に関連する宝物も残されているようです。

この後は、前の記事で書いた通り鴻巣の勝願寺へ、伊奈忠次の墓参に立ち寄ってから帰路につきました。
圏央道は渋滞もないし、距離的にも日帰りで出かけるにはちょうどいい感じ。いいドライブになりました。

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