伊奈氏屋敷跡
今回は埼玉県北東部へのドライブ。
まずは伊奈町小室の伊奈氏屋敷跡を目指します。
伊奈氏屋敷跡図(上が南)
天正18年(1590)の主君・徳川家康の関東移封に伴い、武蔵国小室・鴻巣1万3000石を拝領した伊奈忠次が築いた屋敷(陣屋)跡です。
東西350m×南北750mにも及ぶ広大な敷地を誇っていました。
忠次は関東代官頭に任じられ、江戸幕府開府後は関八州の天領、約30万石を管轄します。
各地の検地、新田開発や河川改修、中山道をはじめとする街道宿駅の整備などを手がけ、創成期の幕府財政の基盤確立に多大な功績を残しました。
伊奈屋敷、表門跡。
沼南駅前の駐車場に車を置き、そこからは1㎞ほどの道のりをのんびりと歩いて向かいました。
表門脇にも横堀?枡形虎口?らしき痕跡があったのですが、生い茂る樹木に完全に覆われ、近づくことすらできませんでした。
屋敷跡一帯には私有地も多いので迷惑にならないよう、上の図で散策路(緑)に定められている部分と車道に沿って見学していきます。
図A地点の横堀。
想像以上の遺構に、のっけから興奮を覚えました。
(この付近で、ひょっこり姿を現した狸とも遭遇しました)
図に「現在地」とある地点に建つ石碑と説明板。
B地点から東を見た横堀と・・・
同じくB地点から西側の横堀。
右へくっきりと折れている様子もわかります。
Cの堀底
G地点から北へ伸びる横堀。
藪がきつく、散策路にも指定されていないので立ち入りませんが、見応えのある遺構が続きます。
続いて、今度はDの堀底を伝って頭殿権現社へ向かいます。
頭殿権現社
長禄年間(1457~1460)に太田道灌が勧請したとも伝わり、忠次が陣屋を築いた後に社殿を整え、陣屋の守護神にしたと云われています。
頭殿権現社脇に残る、Eの横堀。
屈曲させている様子も見て取れます。
細く曲がりくねった道を北へ進み、裏門跡へ。
屋敷跡内には、こうした細くて屈折した路地が多く残ります。これらも、この地に屋敷が存在していた名残なのだそうです。
裏門付近の横堀(F)
裏門跡に建つ伊奈氏屋敷跡の標柱。
標柱の建つ広場からは、発掘調査で障子堀が検出しているそうです。
縁石で障子堀の位置を示しているというので、高い場所から見てみましたが・・・
なんとなく、U字型をしているのがわかります・・・かね?(^_^;)
伊奈氏屋敷跡、近年の史跡整備のお陰もあって、結構見応えがありました。
屋敷跡にお邪魔させていただいたので・・・
鴻巣市本町の勝願寺へ、伊奈忠次の墓所にもお参りさせていただきました。
向かって左端が伊奈備前守忠次の宝篋印塔です。慶長15年(1610)没、享年61。
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