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2019年7月31日 (水)

横倉喜三次の二王清綱

上陸した台風6号の進路も気になる7月27~28日、その台風へ向かうかの如く飛騨高山への旅に出かけました。
27日(土)の朝に東京の自宅を出る時は快晴だった空模様も、新幹線で西へ進むにつれて怪しくなり、愛知県に入った辺りでは視界も霞むほどの豪雨・・・。

午前10時、JR岐阜駅で台風旅の道連れと合流し、まずは私のリクエストで・・・

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関市の岐阜県博物館へ。(写真提供:流星☆さん)
こちらで開催されている令和元年度の特別展、剣精霊貫白虹 幕末美濃の剣豪と名刀(~2019年9月8日)を目当てに訪れました。

本特別展は幕末の動乱期に於ける美濃国の歴史や、山岡鉄舟・小原鉄心・島田魁ら美濃出身者たちの活躍にスポットライトを当てた企画。
中でも目玉として、近藤勇の処刑に用いられた刀をはじめ、揖斐に陣屋を構える旗本岡田家に仕えた横倉喜三次に関する貴重な史料(横倉家資料)が公開されると聞き、矢も楯もたまらずに今回の岐阜旅を決めたのでした。
※横倉喜三次や揖斐については、コチラの記事もご参照ください。

板橋にて、新選組局長・近藤勇斬首の太刀取りを命じられた横倉喜三次。
彼がその際に用いた脇差二王清綱
切っ先が長めで反りは控えめの美しい刀身で、茎には「二王」の刻印、樋は朱に塗られていました。
白鞘には
在銘 周防國 二王清綱作
との墨書も。

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一度は拝観したいと願っていた一振り・・・感無量です。
(写真提供:流星☆さん)

喜三次自筆の「近藤勇首實検唱文」には、二王清綱が後に明治天皇の天覧に供されたことも記されていました。

喜三次が揖斐で、近藤勇の法要を営んだ際の記録「大和守法會入用覚帳
漠然と、故郷の揖斐に戻って一人静かに近藤の霊を弔っている姿をイメージしていたので、本史料で結構な数の参列者のあったことを知って意外な思いがしましたし、何よりも驚きなのは「慶応四年 辰 (閏) 四月十六日」という、その日付。
近藤の刑死(4月25日)から僅かに半月ほど後のことで、当然、各地ではまだ戦闘(戊辰戦争)が続いている真っ只中。しかも、「賊」とされた旧幕府方戦没者らの慰霊が公に許されるのは、明治7年になってからのことです。
新政府に知れたら如何なるお咎めを受けるやもしれぬ状況下(だからこそ「近藤勇」ではなく「大和守」の法会と記したのかもしれませんね)にも関わらず、あえて近藤の法会を挙行した喜三次の思いとは・・・。
※大和守=大久保大和

昨年(2018)の夏、実際に揖斐へ足を運んで松林寺や大興寺など、喜三次ゆかりの地を訪れていたからこその、更に感じ入るものもありました。
念願も叶い、とても有意義な時間でした。

この後は昼食を挟み、下道でのんびりと宿のある高山へ向かいます。

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