高山の町並み、江馬輝盛墓、増島城
飛騨高山で迎える2日目の朝。
まずは宮川朝市でお土産の物色から・・・。
古い町並みも散策♪
朝の高山散策を終えた後は、車で北上して古川方面へ。
まずは高山市国府町八日町にある・・・
江馬輝盛の墓所へ。
江馬氏は飛騨北部、高原郷(神岡町など)に勢力を張った一族。
天正10年(1582)6月の本能寺の変で織田信長が斃れると、時の江馬氏16代当主・輝盛は飛騨の支配を賭け、織田家に接近していた三木氏(飛騨国司姉小路氏の名跡を奪取)らとの対決に踏み切ります。
同年10月に大坂峠を越えて南進し、三木方の小島氏(姉小路一族)の領域へ侵攻しました。迎撃に出た三木勢と、この八日町で荒城川を挟んで対峙して決戦に及びますが敗れ、輝盛は戦死を遂げます。(八日町合戦)
八日町での敗戦~輝盛の戦死で江馬勢は崩れ、本拠の高原諏訪城も落とされて江馬氏は事実上滅亡しました。
※大坂峠では輝盛の家臣13名も輝盛の後を追って自害していますが、後に土地の人々が彼らの墓を建てて供養したため、いつしか大坂峠は「十三墓峠」とも呼ばれるようになったそうです。
この後、三木氏は一旦は飛騨を統一しますが、やがて豊臣秀吉の命を受けた金森長近の攻撃を受けて敗れ、飛騨国は豊臣政権によって平定されました。
輝盛の墓標脇には、「切腹石」と呼ばれる大きな岩が。
輝盛の子と推定される時政は父の死後、金森長近を頼ったものの、後に所領問題から反旗を翻して粛清されたとも云われています。
この切腹石は、その時政が腰を掛けて腹を切ったものと伝えられているようです。
江馬輝盛墓所付近から、三木勢が陣取った南方の眺め。この谷間を縫うように、荒城川が東西に流れています。
※眼下の小川は荒城川ではありません。
続いて飛騨市古川町の増島城へ。
増島城は本城の高山城と共に、飛騨を平定した金森氏の拠点として築城されました。
石垣の高さは8mを超え、飛騨では最大級の規模を誇ります。
元和の一国一城令で古川旅館(公用宿所)と改称し、金森氏の出羽移封で飛騨が天領となり、増島城も役目を終えました。
ところで、飛騨古川は映画「君の名は。」の舞台にもなっているようで、写真の気多若宮神社がモデルではないかとされる神社も登場しているそうですね。
この後は更に北上し、鉱山でも有名な飛騨市神岡町へ向かいます。
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