八尾・若江の戦い関連地
今回の旅の行程は、同行者任せの完全ミステリーツアー。
新大阪駅で合流し、まず最初に連行…もとい連れて行かれた(同じかw)先は・・・
若江城跡でした。
5年前、織田信長の天王寺合戦めぐりで訪れて以来の再訪となりました。
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どうやら今回は、大坂の陣の関連地を中心にめぐるようです。
若江城跡碑から南へ100mほど、蓮城寺に建つ木村重成の霊牌所。
大坂夏の陣、八尾・若江の戦い(慶長20年5月6日)で若江口に出撃し、徳川方の藤堂や井伊らの軍勢と戦って討死を遂げた木村重成を祀っています。
霊牌所の中には重成の肖像画や位牌、日蓮宗を庇護した加藤清正の小さな木像が安置されていました。
この付近には「若江木村通」という交差点もあります。
少し場所を移して、八尾市幸町の木村重成墓所。
宝暦14年(1764)、重成の首を挙げた井伊隊・安藤長三郎の子孫で彦根藩士(井伊家)だった安藤次輝が、重成の150回忌にあたって建立しました。
すぐ北を流れる第二寝屋川の開削工事により、昭和になって50mほど移動しているようです。
墓所は公園の中に位置しているのですが、その公園には;
此附近木村重成奮戦地
の碑も建てられています。
続いて八尾口の古戦場方面にも足を運びました。
写真は、八尾神社境内に建つ矢尾城址碑。
八尾神社の西にある常光寺の門柱?に刻まれた、大坂夏の陣古戦場の文字。
常光寺には多田満仲の子孫で、楠木正成の家臣として活躍した八尾城主・八尾別当顕幸のお墓もありました。
長宗我部物見の松跡
八尾口へ出撃した豊臣方の長宗我部盛親は久宝寺一帯に布陣し、この地に生えていた松の木に兵を上げて藤堂隊の動静を探ったのだそうです。
久宝寺城跡
天正5年(1577)、久宝寺城は本願寺の攻撃を受けて陥落しているそうです。
時の城主・安井定重が織田信長に与していたためとか。
久宝寺城のものと思われる土塁を写した古い写真。
八尾・若江での戦いは、徳川方の先鋒・藤堂隊の武将を多く討ち取るなど、豊臣方も特に八尾口では善戦したようですが、繰り出される新手(井伊隊など)に若江口が徐々に押し込まれ、木村重成の戦死によって木村隊も壊滅し、若江口は破られました。
若江口の崩壊を受けて八尾口の長宗我部盛親も孤立を恐れ、大坂城へと撤退します。
この後は道明寺方面へ向かいます。
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