志苔館 ― 箱館戦争めぐり⑨ ―
旅の2日目は、函館朝市での贅沢な朝食に始まり・・・
函館空港すぐ南の志苔館へ。
道南十二館の一つで、続日本百名城にも選定されています。
コシャマインの戦いで亡くなった志苔館主和人御霊、及び阿伊努(アイヌ)御霊を祀る慰霊碑。
志苔館図
西側の二重堀越しに虎口。
それにしても見事な二重堀です。
二重堀の海側を見ると、直下に小さな港も。
周辺の海域にはごく浅い岩礁帯が広がっており、この港の辺りだけが船をつける水深を確保できているようでした。
この地に館が築かれた一因になっているのかもしれません。
郭内から二重堀。
発掘調査の結果、二重堀の外側にも柵と門が築かれていたことが判明しています。
広い郭内からは、複数の時代に跨る建物跡が見つかっています。
そのうち、初期のものと推定される建物遺構が展示されていました。
また、郭の周囲をグルッと土塁が廻っていますが、虎口のすぐ脇など、いくつか不自然な切れ目もあります。
箱館戦争時、志苔館は旧幕府脱走軍(以下 旧幕府軍)の台場としても利用されたと考えられています。
こうした土塁の切れ目は、旧幕府軍の手により砲座として改変された痕跡ではないでしょうか。
最後にもう一度、綺麗な二重堀を目に焼き付けて志苔館に別れを告げます。
この後は近くにあったトラピスチヌ修道院にも立ち寄り、次の行程へと移ります。
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コメント
2019.10.24の、権現台場に関する内容に、「こちらの大鳥居にも怪しい痕跡が・・・。」とありましたが、箱館戦争時の弾痕です。
幾つかのURLに、そのように書かれていますが、それだけでなく、実際に四稜郭の戦いを見聞した古老の話を昭和7年に聞き集めた服部安正氏が、それをまとめて昭和10年に発行した「四稜郭史」(函館中央図書館蔵)に、
「御影石の大鳥居、それに弾丸の跡もあざやかにのこって」と書かれています。
投稿: テリー・サバラン | 2020年1月26日 (日) 12時17分
テリー・サバランさん>
ご教示いただき、ありがとうございます。
実際にそのような証言が残っていたのですね。「四稜郭史」、是非読んでみたいです。
投稿: しみず@管理人 | 2020年1月29日 (水) 06時55分