妙法寺の松
谷町9丁目の妙法寺。
今は失われていますが、妙法寺には「妙法寺の松」と呼ばれる名高い松の木があり、江戸時代後期には庶民から「松の寺」とも呼ばれて親しまれていたそうです。
有名な「妙法寺の松」ではないけれど、境内に植えられていた松をパシャリ。
警護のため、将軍家茂に随行して上方に滞在していた伊庭八郎は元治元年(1864)5月26日、早朝に妙法寺を訪れて「大松」を見物した、と日記に書き残しています(征西日記)。
朝涼や人より先へ渡りふね
その時に彼が詠んだ一句なのですが、どんな意味が込められているのでしょうか。
まだ涼しい早朝に出かけたおかげで人より先にいいものを見ることができた・・・案外こんな単純な感慨を句に詠んだのかもしれませんね。
また、真田丸跡をめぐって訪れた心眼寺は、桂早之助・渡辺吉太郎・高橋安次郎らの埋葬地。
彼ら3名は京都見廻組に属した幕臣で、同じく見廻組に属していた今井信郎の供述の中で、坂本龍馬、中岡慎太郎を襲撃・暗殺した近江屋事件の実行部隊に名を連ねています。
特に桂は小太刀の名手で、実際に龍馬を切ったとも伝えられる小太刀が霊山歴史館に展示されています。
いずれも慶応4年(1868)1月4~5日にかけて、薩長を中心とする新政府軍との戦闘(いわゆる鳥羽伏見の戦い)で戦死し、当寺に葬られました。
残念ながらいつの頃か、高橋の墓石は失われて残っていないそうです。
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