意冨比神社、戸切地陣屋 ― 箱館戦争めぐり⑪ ―
2日目の昼食は、ラッキーピエロ峠下総本店にて♪
ところで、峠下は箱館戦争の開戦を告げる戦い(明治元年10月22日)のあった地です(参考記事)。
峠下での新政府(箱館府)軍の急襲を退けた旧幕府脱走軍(以下 旧幕府軍)は軍を進め、24日には大野、及び七重で待ち受ける新政府軍との戦闘に及び、これを撃破しています(峠下から大野・七重へと進んだ旧幕府軍は、大鳥圭介指揮の本道軍)。
大野の戦いの中心地となった意冨比神社(大日社)
境内のイチイの木に弾痕が残るとの情報から、神社の方に位置を教えていただきましたが、既に木の成長で樹皮が弾痕を覆ってしまった模様。
しかしよ~く観察すると、空洞になった幹の中に気になる痕跡も・・・。
大野の古戦場から南西へ一里ほどの戸切地陣屋。
戸切地陣屋は安政2年(1855)、幕府の命を受けた松前藩によって築かれました。
南東側の虎口の先では、大きな蔀土塁が行く手を阻みます。
蔀土塁の背面にはスロープが・・・。
まさか有事の際は、ここにも大砲を据えることになっていたのでしょうか。
郭内には17棟の建物が建てられていましたが、大野の戦いに敗れた松前藩兵が自焼して撤退しています。
東側の稜堡だけが菱型になっており、砲座が6つ構えられていました。
手前の四角い土盛りは、砲座に据える大砲の格納庫(大砲入)跡。2.5間×3間の規模で、6つの砲門が保管されていました。
北西側の虎口にも蔀土塁。
背面のスロープまで、南東側のそれと同じ構造です。
北西側の虎口を出た先。
郭内でヒグマのものらしき足跡も確認していたので怖かったのですが、奥に見える林の先に面白い遺構があるとの情報を得ており、警戒しながら向かうと・・・
綺麗に整備・保存された火薬庫跡が迎えてくれました。
土塁の他、火薬を湿気から守るための排水溝も廻らされています。
戸切地陣屋・・・ある程度の期待は持って訪れたのですが、想像以上の規模、そして綺麗な整備具合に感動しました。
今年訪れた城跡の中でも、トップクラスのインパクトです。
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